秋祭の日は、町の警備が増える。危ない連中が集まるという理由もそうだし喧嘩が増えるというのもそうだ。だから警備に当てられた惣太たちも祭の中をぐるぐる歩き回りながらそれなりに祭を楽しんでいた。毎回聖が警備ではなく詰所にいる理由は、分かっている。


「あ、たこ焼き買ってこ」

「戻る頃には冷えんじゃん」

「温めればいいよ」


 りんご飴を食べながら見回りを兼ねて祭の喧騒の中を歩く。既に数件の喧嘩の仲裁をしているけれど、そろそろ遊び始めてもいい頃だ。ついでに聖たちに土産を買って行こうと鉄五郎と話しながら歩いていたけれどなかなかいい土産は見つからない。
 まだ軍に入る前、惣太は聖と一緒にこの祭の喧騒の中を歩いた。的当てが得意でいろんな人から声をかけられる聖と歩くのは楽しかったけれど、軍人になってからは一度も聖は祭の喧騒に触れたことがない。それはきっと、彼がある人に会うことに怯えているから。軍服は結構目立つから、だから彼は避け始めた。


「師範も来ればいいのにな」

「聖さんは……こないよ」

「なんで?」

「この祭って、いろんな人来るから。聖さんが会いたくない人も来る」

「会いたくない人?」

「お母さんに会いたくないんだって」


 以前、惣太は聖から母親の話を聞いたことがあった。彼はとても幸せそうな顔でその話をしていたけれど、最後にはつらそうな表情で別れの場面を語ってくれた。その表情を思い出して惣太は顔を歪めるけれど鉄五郎は気づかない。ただ何かを察したのか「ふーん」と鼻を鳴らしただけだった。


「竜田の祭ってすごいな!」

「鉄って祭初めてだっけ?」

「去年もここは見たけど、やっぱすごいなって思って」

「臼木の祭ってどんな感じ?」


 鉄五郎を聖が拾ってきてからもう二年が過ぎようとしている。去年も確か鉄五郎はすごいすごいを連発していたような気がした。もしかしたら臼木には祭がないのかと思ったけれどそんな訳もないだろうと問いかけてみた。途端に彼の表情が曇り、さっきまでキラキラと周りの光景を追っていた目が足先を映す。


「俺がいたのは小さな村でさ、こういう祭なんて参加したことなかったんだ」

「そうなんだ……」

「でも中央ではすごくてさ、領主様が祭典を行うんだ!」


 民衆のための祭がなくても、臼木には領家が神に豊穣を祈る祭典が行われるらしい。竜田でも似たようなことは行われるが公式行事というだけで特に祭典になるわけではない。惣太だっていつそれを行っているのか知らないくらいだ。もしかしたら領主がというよりは祇官がやっているのかもしれないが。
 その祭典のことをあまりにも鉄五郎が詳しく語るから、惣太は不思議になって彼に訊いてみた。


「その祭典には、鉄出たことあんの?」

「や……貴族だけ、だけど……」

「そうなんだ?」

「でも有名だから!話だけは流れて来るんだよ!」

「へぇ」

「俺、ちょっとトイレ!」


 どこか慌てた風に鉄五郎は言い捨てて、人ごみの中に姿を消した。止める間もないものだから惣太は何も言えなかったけれど、彼は何かを誤魔化しているように見えた。一体何を誤魔化しているのかもわからなかったけれど、今の対応がおかしかったのは確かだ。


「惣太君!」

「姫菜……とみどりさん」


 声をかけられて思考の海から引き上げられ、惣太はその声の主に顔を綻ばせる。一線を越えてから名前を呼び捨てて呼ぶようになった少女は、いつもの仕事用の着物ではなく少し地味な着物を着ていた。けれど髪は綺麗に結えていてその簪もよく似合っていた。それをみて、彼女の髪を飾るものを何か贈ろうか、と考える。


「惣太君、お仕事?ご苦労様」

「まぁね。姫菜……その……」

「なぁに?」


 聖ならばさらりと褒められるのだろうけれど、惣太がその言葉を引っ張り出すのには少し苦労がいった。ちらりと隣のみどりを見たら彼女は分かっているのは薄く微笑んでいる。言いたい言葉が頭の中をぐるぐる回っていたけれど、その中からどうにか一つの言葉をひっぱりだした。


「その着物、似合ってるよ」

「あ、ありがと……」

「良かったわね、姫菜。おめかししたかいがあったわ」


 赤くなった彼女に何を言えばいいかやはり分からなかったけれど、今回はみどりが助け舟を出してくれた。そのことに感謝をしながら次の言葉を探っていると、目の前を同じ軍服が走り去って行った。彼が途中惣太を見つけると「喧嘩」と伝えてくれたので、少し残念だけれどまた聖と一緒に会いに行くと伝えて現場へと走った。
 その喧嘩を一件収めてから、戻ってきた鉄五郎を連れて惣太は花火が始まる前に本部へと戻った。










 暑い暑いと思っていたけれど、道場で稽古をつけたり簪を返しがてら朱門に入り浸ったりしていたら朝晩は冷えるほどになった。気が付けば鈴虫も鳴きだし、町は秋の祭の準備のために活気がある。あれから兄からも真坂からも何かを言われることはない。兄の婚約は無事に済んだそうだけれど、子供ができたとは聞かないからあの一回では妊娠しなかったのだろう。それがありがたいことのような気もするし、また種付けのために呼ばれるような気もして陰鬱な気持ちにもなる。それもあったから道場に篭っている時間も長くなったのかもしれない。
 秋の祭は国で一番大きな祭で、そのため警備の人数も増える。毎年のことだけれど大将、副将は本部の方で何かあったときのために待機している。何かあったことはないけれど。


「いい夜ですね」

「だな。月が綺麗だ」


 本部で月見を兼ねて少しばかりの酒を運び込み、本を片手に吉野と共に傾けるのは毎年の恒例行事と化している。軍人になる前から秋祭での花火鑑賞は毎年同じ調子でしていた。あの頃は神社の境内から見た花火だが、軍人になってからはもっぱら本部の上に勝手に登っている。
 今日もまた読み止しの本を開きながら酒を舐める。本来はこんなことがばれたら懲罰どころか首を切られそうなものだが、ばれないから大丈夫だろう。


「聖、吉野。入るぞ?」


 軽いノックの音がして、次の瞬間には中の返事も待たずに扉が開いた。その声は知ったる軍医のものなので少し安心して、彼が入ってくるのに任せた。その後ろには林田もいて彼らはそれぞれ酒のつまみになりそうなものを携えていた。勝手に入ってきて勝手にソファに腰を下ろし、余っていた杯に勝手に酒を注ぎ始めた彼らを見ても毎回のことなので何も言わない。
 祭の日は本部に残っている人間も普段の半分以下になり、この階には軍部以外人はいないのではないだろうか。だから昔のように集まって気楽な話ができた。


「聖、お前朱門から大量の文どうした?」

「ちゃんと全員に返した。つーか何で皇里が知ってんだよ」

「知らいでか。みんな知ってるだろ」


 軍に入るまではこうしてみんなでつるんでいた。聖が吉野とつるみだす前は皇里と惣太と、あと何人かで。吉野が加わってからは林田もたまにいて、そんな風に好き勝手に話して呑んでを毎晩のように繰り返していた。あの頃に戻りたいとは思えないけれどたまにならば心地がいい。今惣太は、鉄五郎と一緒に祭の方に行っている。


「実際のところどうなんだよ」

「何が?」

「角倉の直系がそんな女相手にしてていいのか?」

「いいんじゃねぇの。俺、どうせいらないっぽいし」


 読んでいた本を閉じて、聖は笑った。机の上にある甘味を口の中に放り込んでその甘さに顔を顰め、同じく机上の煙草をとって口直しとばかりに火を点けた。深く吸い込んだ紫煙を吐き出して、皮肉気に口元を引き上げる。
 角倉に引き取った理由は彼らに都合の良いもののはずなのに、気が付けば厄介払いされている。貴族とはなんと身勝手なものなのだろう。きっと人間の身勝手さは、金や権力があればその分大きくなるんだ。物欲と傲慢さは似ている、そのことに今気づいた。


「要らないって、そんなわけないっすよ。だって聖さんの嫁候補探してるって噂ですよ」

「マジかよ。初耳なんだけど」

「噂ですけどね。そういえばお姉さんはまだ結婚しないんですか?」

「知らね」


 紫煙を吐き出しながら、穏やかな気持ちで月を見上げた。まん丸の月は夜空の闇さえも消してしまいそうに冴冴と夜を照らしている。月はどこで見ても変わらないはずなのに、こんなにも聖の胸を切なくさせた。その理由に目を瞑って、月を隠すかのようにそこに向かって紫煙を吐き出す。白く濁った空に少しだけ満足して、器に少し残った酒を一気に呑み干した。


「さて、そろそろ上行きましょうかね」

「…………」

「聖さん?」

「俺、ちょっと寄り道してくから先行ってろよ」


 唇に煙草を挟んだまま眉間の皺を深くした聖は、吉野の問いかけにその表情のまま答えた。どこに寄り道をするとも何も言わないで短くなった煙草を灰皿に押し付け、軍服のパンツのポケットに煙草とライターをねじ込んで立ち上がった。何か言いたそうな吉野の顔に表情を和らげて答えに変えて、皇里たちに背を向ける。彼らにはきっと吉野が説明してくれることを祈って、執務室を出て瀬能のいる館に向かった。
 自分の国なのに何も知らないと言った瀬能の顔がひどく悲しそうだった。それが胸につかえて何となく気になっていた。彼のためになんて綺麗なことを言うつもりはない。自分はそんなに綺麗な人間じゃあない。けれど何かをしてやりたいと思ったのは本心だった。
 誰もいない館内を足早に抜けて、警備しかいない館に入る。階段を二段抜かしで上がって瀬能の部屋の前で一度足を止めて深呼吸した。落ち着いてから、扉を叩く。


「瀬能様、起きてます?」

「……聖?」


 ノックをして声をかけ、まだそんな時間じゃあないけれど眠っていたら問題なので一応声をかけたらいぶかしむような声で名を呼ばれた。何を警戒しているのか分からないけれど「失礼します」と短く言って部屋に入ると、柊姫が半泣きになってソファで膝を抱えていた。聖の姿を見ると、嬉しそうに顔が綻んで駆け寄ってくる。


「師範!」

「柊様?どうしたんです?」

「師範、柊は花火を見たいです!」

「危ないからだめだと言っているだろう!」


 ぎゅっと足にしがみつかれて、聖は足元の柊と腕を組んでいる瀬能を見比べて思わず吹き出した。それを瀬能に恨みがましそうな目で見られるけれど吹いてしまったものはしょうがない。妹が可愛いのは分かるけれど少し過保護だろう。聖が頻繁に足を運ぶおかげで柊もだいぶ聖に慣れた。聖なら助けてくれると思っているようで、涙目で花火を見に行きたいと強請った。


「花火くらい見せてやってもいいじゃないですか」

「夜に外出させられるか!」

「でも柊も一度くらいは見てみたいです!」


 行きたい柊と行かせたくない瀬能の言い争いは平行線を辿りそうだ。花火に誘いに来たのにこんな言い争いを見せられるとは思わず驚いたけれど、遠くでパンと花火が始まった合図が聞こえてきて我に返った。とっとと連れて行くなり戻るなりしなければ終わってしまう。柊もその音に気づいたのか窓の外に目をやるが、残念ながらここの窓からでは花火は見えない。


「俺、花火に誘いに来たんですけど」

「本当ですか!?」

「本当ですよ。本部の上って結構穴場なんですけど、行きません?」

「師範、連れて行ってください!」


 嬉しそうに目を輝かせた柊に瀬能は渋面を作ったけれど、聖が大丈夫だと二度ほど繰り返すとしぶしぶ頷いた。嬉しそうに急かす柊を案内するために聖は軍の詰所に行くのだと伝える。そこから梯子をかけて本来は乗る場所ではない屋上に乗れるようにしてある。それを言ったら瀬能が顔を青くしたので、柊は担いで渡ると伝えると少しだけ表情を和らげた。










 聖が柊を担いで瀬能と共に屋上に上がると、もう全員が揃って杯を片手に花火鑑賞していた。相変わらずここからならばよく見える、と夜空に光る鼻を見て目を細めて聖は身体を伸ばした。ポケットから引っ張り出した煙草に火を点けて、一息。見上げた空に浮かぶ月はさっきまでは確かに闇よりも重かったはずなのに今はもう花火の方が明るい。


「聖さん!遅かったです……瀬能様!?」

「惣太、酒取って来いよ」

「なんだ、聖は瀬能様連れに行ってたのか」

「お姫様もいるけどなー」


 紫煙を吐き出しながら笑って、聖は惣太が持ってきてくれた杯を受け取って手酌で酒を注いだ。瀬能が酒が苦手なのは知っているので自分の分だけにして、くいっと煽って一息つく。肌に当たる夜風は心地いい程度に冷たかった。興奮している柊が落ちないように足の間に抱いた瀬能の目も花火に釘付けになっているのに聖は少し笑い、瀬能の耳元に唇を寄せた。


「初めての花火、どう?」


 声をかけるとすごい勢いで瀬能が聖を見て驚いた顔をした。彼としては隠していたことなのだろうけれどばればれだ。柊に聞こえない程度の声でそう伝えると、瀬能は「綺麗だ」と小さく呟いて黙ってしまった。そんな瀬能が面白くて、聖の視線は花火だけではなく瀬能の横顔に注がれる。最も綺麗に見える花火は幼い頃にずっと見ていたから、今更という気もしているから惜しくはない。
 幼い頃母の部屋から見た花火。黒門で最も格調高い部屋で母と一緒に見た花火が聖にとっては最も美しい花火で、それが覆ることはないだろう。今まで覆らなかったのだから、きっと。たった一度、心底好きになった人と一緒に花火を見たけれど、あの時は繋いだ手に気を取られて花火なんて見ていられなかったから。


「聖、ありがとな」


 短く聞こえた感謝の意味が分からなくて聖が彼を見ると、花火の赤に照らされて顔を赤に染めながら、瀬能の唇が「とても綺麗だ」と紡ぐ。はにかんだその笑顔に、思わず息を呑んだ。正直感謝されるとは思わなかったし、こんな嬉しそうな顔が見れると思っていなかった。喉を通ろうとしていた酒でむせそうになり無理矢理呑み込んで、聖は息を大きく吐き出した。少し落ち着いて、煙草を適当な場所でもみ消しながら微笑を刷く。その声は、掠れていた。


「どういたしまして」


 花火が終わり、柊と瀬能を部屋に送ってから執務室に戻り、聖はソファに深く沈みこんでやっと安堵の息を吐き出す。少しずつ瀬能の世界を広げてあげられる人間が自分であればいい。そんなことを素直に思える自分に驚いた。





−続−

聖さんとみどりさんは惣太と姫菜の恋を見守ってます