竜田軍の定石として、五人を一組として敵方に向かっていく。今回もそのまま五人で戦場に飛び出した。諜報からの連絡に拠れば臼木軍は山の南側を重点的に守っており、比較的北側の守備が緩いらしい。聖はそこに四分の一の兵を向かわせた。
 お互いの国の関所に隣接して軍幕を張り、通常はそこに大将が控えている。大将の首を取ったほうが勝ちというのが戦の常識ならば、竜田軍は自ら首を敵方に曝していることになる。けれど決して誰もそれに意を唱えたものはいない。角倉聖と言う人間が強いことを、竜田軍に名を連ねる者なら誰でも知っている。代わりに吉野が軍幕の中で作戦指揮を執るのはいつものことだ。だから前線にいる聖には今日も今までと同じ戦でしかない。


「相手何倍だっけ?」

「四倍!でもここにいるのは同じくらいじゃん」

「んじゃ、囮のがしんどいんだな。早く助けに行ってやるか!」


 続々と現れる敵をお互いに背を向け合いながら斬り伏せつつ、口に乗る会話は戦場の陰惨なものとは正反対に明るかった。もしかしたら無理に明るいのかもしれないけれど、聖と共に魁の組になった古参のギンと幸二が言葉を交わしている。彼らの前に聖が惣太を横につけている。口の端を引き上げて、ひどく楽しそうに見事に急所を一突きで相手を倒しているものだから顔のところどころに血が跳ね返ってきてみているほうが怖かった。


「死にたくねぇ奴はひっこんでろよ!斬っちまうからなっ!」

「ちょっ、挑発しないでくださいよ!」


 臼木の兵に向けられる聖の揶揄に乗せられた臼木兵が次から次へと現れて、惣太は必死に応戦した。聖はまさにばったばったと敵をなぎ倒しているが惣太にはそんな技術はない。ただ、聖がこんなに綺麗に刀を振れて良かったなと思った。彼の心には、微塵の迷いもないようだ。
 ただ前へ、前へ進んで行く。敵の血を被りながら、敵の心臓を狙って。容赦なく止めを刺すのは竜田軍だと全員が信じている。臼木の関所は、丁度竜田山を挟んで向こう側にある。通常商人などが使うのは南側を迂回するルートか山頂を越えるもので、北側は遠回りになるために使われることは滅多にない。だからこそ戦略としてそちらから攻めるべきだけれど、聖はそれは予想していなかった。臼木側もそれに気づいて防御を厚くしてくると思ったのだが、現状を見る限りその可能性は皆無どころか怪しいほどに壁が薄かった。


「秋菜ちゃん、いるか?」

「だから秋菜ちゃんて言うな」

「全体はどうなってる?」


 傍で飛び回った諜報が集めてくれた情報を総合して、小田原が常に最新情報を得られるように布陣してある。どこにいるか分からない彼に声をかけるとふっと背後から声が聞こえた。振りかぶられる刀をかいくぐり斬り倒しながら、聖は特に息を乱すわけでもなく問うた。なんだか嫌な予感がする。こちらには行きたくない。気のせいならばいいけれど、戦場における勘はなかなか信用していい。だから合理的な理由を探したのかもしれない。


「特に南に戦力が固まっている。こちらには気が回らなかったと思われる」

「へぇ……」


 ただ臼木の参謀が阿呆なのか、なんか裏があるのか。分からないけれど、罠だと考えていたほうがいいだろう。小田原にそれを吉野に伝えるように伝えて踏み出した。真横に薙いだ刃先が三人の胴を薄く裂き、その露出した脂肪に聖の足が容赦なく抉りこまれる。一人は聖の足がめり込み、一人はギンの刀が身体を貫き、もう一人は惣太が袈裟懸けに斬り伏せた。


「罠かもしれねぇから気ぃ付けろよ!」

「んじゃあ先頭譲ってくださいよ!」

「そいつぁ無理だな。お前らは俺のサイド守ってろ」


 軽口を叩きながら、聖はふと後ろを振り返った。まるで道のように臼木の兵が倒れているのが見えて、なんだかそれが作為のようなものを錯覚させる。もしもここに誘い込まれていたとしたら、こちらの作戦がどこまで見透かされているのだろう。もともと作戦と言うよりは力押しに近い戦術をとったけれど、それでも別働隊を大将が率いることなんて思いつきそうにない。もしばれているとしたら、いつから。どこまで。
 たった一瞬でそう考えながら、手が勝手に向かってくる殺気を殺し続ける。途中で血脂で斬れ味が悪くなって二本目の刀を抜いて小田原に預けて補充したが、それは大将の特権で他のやつらは躊躇いもなく刀を捨てて比較的綺麗なものを敵から奪って使っている。
 考えられそうな作戦としては、予備兵を使うものが考えられる。けれど彼らのプライドと外面を考えればそれはないだろう。いくら竜田軍の評価が高かろうともあまりな戦力差は好ましくないはずだ。ならば現在の四倍のまま何を仕掛けてくるのか。


「お、開ける」

「惣太、囲め!」

「はいっ」


 少し考えている隙に、周りの空気が変わった。聖が意識を先頭に戻すと、ギンがまず聖の横にぴったりと付いた。逆隣で幸二も刀を構えて神経を研ぎ澄ませる。少し進めば視界が開けるようで、背後に惣太が付いたのがわかった。昔から喧嘩でも何でも戦闘においてこの陣形を取ってきた。聖を先頭に、横と後ろを背を預けあうように固める。


「師範!」


 視界が開いた瞬間、この場では聞こえない声が聞こえた。けれどあまりにも聞きなれた声に特に違和感もなく聖を呼んだものだから、警戒もなく切っ先が少し下がっていたのかもしれない。刹那に感じた殺気に条件反射のように切っ先を上げ身体を引いたけれど間に合わず、聖の顔から鮮血が飛び散った。
 ジリっと焼け付くような痛みが目を切り、視界が赤く染まる。初めに反応したギンの刀が聖の前を薙ぎ、彼を守るように躍り出た。


「鉄……と、師範代……?」


 彼らの目に飛び込んできたのは血刀を提げた鉄五郎と、その後ろにいる吉野。更にその後ろを臼木の兵が囲うように姿を続々と現した。










 当初の予定では臼木の兵は山全体に網を張っていると思っていた。けれど実際に諜報が持ってきた連絡は、臼木方の奇妙な形を浮き彫りにしていく。
 聖以下が竜田山に足を踏み入れ開戦する少し前、吉野は良人を連れ立って軍幕へと場所を移した。断続的に諜報が持ってくる情報を整理しながら、持参した大量の資料をその場にばら撒いた。軍幕内にいたのは吉野と良人、そして皇里の三人でほかは外で警戒している。


「おいおい、なんだよこれ」

「良人にはここでの指示を任せます」

「副将殿は?」

「僕は出ます。皇里、よろしくお願いします」

「おいおい、意味が分からねぇぞ」


 ばら撒いた資料を拾い上げる二人を見ながら吉野は軍服の首元を直した。佩いた刀の場所を確認して、一度首を回す。まだ訳が分からないと釈明を求めてきた皇里に向かって小さく溜息を吐いた瞬間、諜報軍の人間が二人飛び込んでくる。それを機に黙った二人に微笑を浮かべ、吉野は彼らに状況を問うた。


「南に大量の兵が待機しているようです。頂上組に負傷者多数」

「予備兵四万の動員はないものと思われます」

「そうですか。大将の動きは?」

「はっ、大将以下五名は人の薄い北側へ回っています」


 報告を聞きながら吉野が現状を頭の中で再生して、作戦を組み立てる。ずいぶん偏った配置をしていると先ほどから思っていたけれど、これは異常だ。四万のうち約半分と思われる二万もの数が南へと配されている。頂上にいるのは一万から一万五戦。これをたった五人で蹴散らしているというのにも驚きだが、北に対して薄すぎる守りに違和感を隠せない。
 吉野は無意識のうちに顎に手をやり、じっと地図を睨んだ。聖と予想していたのは北川の守りの濃さであり、人数の差からこのような行き当たりばったりといわれてもしょうがないような作戦を取っている。だからもっと混沌とした絵図が描かれていいはずなのにこんなにも整然としている。これは、なんだ。


「軽傷の怪我人だけこっちで見る。戦闘不能は東関の方へ連れて行け!」

「副将?」


 一気に軍幕内が騒がしくなってきた。戦が始まって約一時間、そんなところだろう。この変な絵図もまだ作られ始めたばかりだと思えばそれまでだが、おそらくはもう完成に近い。もとより吉野はこうなるであろうことも予想していた。聖は考えも及ばなかったのかあえて考えないようにしていたのか口には出さなかったから吉野が一人で進めた。こんなことは、彼に背負わせるにはあまりにも重いから。
 良人に声をかけられて、吉野は一番重要な書類を机の上にそっと置いた。それを見て目を丸くしていたけれど、今度こそ外へ行く準備を始める。その瞬間を狙ったかのように、林田が駆け込んできた。


「すんません、巻かれました!臼木に動きあり、予備兵動いてます!」

「動きましたか、ここは任せます。中央に残っている兵に特例出兵の通達、各関にも連絡を入れておいてください」


 次々と指示を出し、吉野は振り返りもせずに軍幕を飛び出した。木の陰に潜むように戦闘を避けて北へと走る。聖たちは北側へと誘導されていると見ていい。おそらくは麓の開けた場所へと出るだろう。そちらへ向かう道を封鎖されることも考えなければならないが、聖たちの通った屍の後を追えば間に合うわけがない。獣道を走りながら、吉野は聖の無事を祈らないではいられない。ハラハラと舞い落ちてくる薄紅色の花びらが視界を隠すのを鬱陶しく思いながら、吉野は無警戒にも飛び出した。
 その瞬間、見えた目標の小さな背中の向こうで銀光が一閃し聖の額から血が吹き出したのが見えた。










 宣戦布告が届いたときには、もう戦闘は始まっているのだという。戦の勝手も分からずに瀬能はただ右往左往していた。もともと戦争になれば領主にやることなどない。ただ軍が無事に勝てるように祈るだけだ。忙しいのは法、外交官くらいなものだろうか。
 妹には何も言っていないはずなのに不穏な雰囲気が伝わったのか、柊も不安な表情をしている。政務など手に付くはずもなく、瀬能はただ机に座って聖の無事を祈った。


「瀬能様……。聖さんは大丈夫でしょうか」


 今政務室にいるのは、瀬能と柊と美月だけだ。ここに真坂だとか気性の優しい高官がいれば瀬能を慰めることもできただろうに、残念ながら今不安を取り除く要素は一つとしてなかった。けれどここにいて民を守るのは瀬能の役目ではあるから、精一杯笑ってみた。


「大丈夫ですよ。聖は勝って帰ってきます」

「でも……」

「死なないって約束してくれました。聖は約束を破らない男ですよ」


 以前約束してくれたことをもう聖は覚えていないかもしれないけれど、瀬能は覚えている。守ってくれるといった。だから聖は死なない。自分に言い聞かせる意味もこめて美月に伝えると、彼女は僅かに微笑んでそうですね、と呟いた。みんな不安ではあるのだ。
 どうしても不安で、瀬能は窓の外を見る。まだここは平和で、戦がどんなものなのか見る影もない。情報は東関よりこっちに流れてこない。意識して遮断されているのではなく、流している余裕がないのだ。彼らがこちらに向かって情報を発信してくれるしか知る手立てがないのがなんとももどかしい。


「桜、綺麗ですね」

「え?」

「聖さんがね、桜がすごい好きなんです」

「そうなのか?」

「えぇ。この桜の下で戦っているだなんて、思いたくないですね」


 ちらりと美月が顔を窓に向けた。そこからは薄紅色をした山が見える。ここから見えるあそこで人が死んでいる、それが信じられないほど桜が綺麗だった。
 どれだけ桜を見ていたのか知れないが、不意に人が入ってきた。扉の開いた音に顔を向けると仏頂面の角倉が一枚の文を持っている。ずんずんと机の前まで進み、文を伸ばすようにしてから瀬能の前に置いた。それを見て、瀬能の息が一瞬止まる。兵の死傷、十分の一。生死の程はわからないが、それが決して吉報であるとは思わなかった。


「美月、家に帰りなさい。瀬能様、東関からの報告です」

「十分の一……」

「避難をいたしましょう」

「避難……?」

「先ほどここに残っている兵に特例出兵令が出ました」

「特例出兵令?」


 聞きなれない単語に瀬能は首を捻った。美月は柊を連れて既に部屋を出て行ってしまっているから、二人きりになってしまった。その空気の重さに、本当に彼は聖と血が繋がっているのか疑いたくなった。状況が状況だからしょうがないかもしれないけれど、聖だったらこんなに息苦しい思いをしなかっただろう。
 特例出兵とは、本来予定していなかった兵の戦場への出兵令だ。これがでたとき、戦況は芳しくないと思っていい。戦場から近い場所から発令されるそれにまず中央が選ばれたら、領主はここにいるべきではない。その説明を受けても瀬能は納得できなかった。


「負けたわけでもないのに……」

「負けそうだから言っているんです」

「でも……!」

「貴方は領主です。わがままも大概になさい」


 角倉の低くて重い声に、瀬能は泣きそうになった。信じるのが領主の仕事だと思う。ここで一人だけ逃げるのが正しいかと言われると、瀬能は首を横に振りたい。少なくとも自分は、聖を信じてここでちゃんと帰りを待っていたい。行ってくると言った彼のために、ここで待っていてお帰りと言ってあげたい。
 唇を噛んで抵抗していると、また一人駆け込んできた。今度は法副長官だった。


「角倉総督、丁度いいところに。角倉大将が負傷したとの連絡が今」

「負傷?聖は大丈夫なのか?」

「詳しいことは何も……」

「瀬能様、あれの心配も構いませんがどうかご避難を」


 実の息子の心配もせずに淡々と避難を促す角倉を、思わず瀬能は凝視した。彼は聖の実の父親ではないのか。なぜこんなに平然としていられる。報告を持ってきた副長官の方が顔色が悪く見えさえする。彼は詳しいことは分からないけれど、各地方から兵が動員されることは確からしい。いよいよ危ない状況になってきて、業を煮やした角倉に腕を取られた。それを反射的に振り払う。
 自由になった手を胸の前できゅっと握って、瀬能は窓の外を見た。薄紅色をした山が、静かにそこにいた。





−続−

聖さんの顔に…傷が……