臼木とはそういう国だった。貴族ばかりが優遇され、それ以外は人間扱いをされなかった。徴兵制度により集められる男子は各村の期待を一身に背負い、その人物のできにより村の運命が決まるといっていい。
 正悟は小さな村に生まれた。仲のいい村で、徴兵で都に言ったときはみんなで応援してくれた。仲間の中でたった一人だけまかされた他国への諜報は失敗に終わった。このまま国に帰れば命はないだろう。死ぬことを覚悟できていたわけではない。けれど、死ぬしかないことを分かっていた。殺されるよりは餓死の方がつらくはないだろうかと歩いて帰国を試みてみたけれど、途中で倒れて拾われた。それが竜田国だった。
 竜田国の話は聞いていた。村が国境に近いこともあり、いかに素晴らしい国か、いかに豊な国かをしっていた。そして、彼の話も。美しい軍大将は負け戦を知らない。楽しそうな軍、すべてが羨ましく思えた。


「聖さん!久しぶり、ちょっとこれお願いできる!?」

「おー。って、は!?何なんだよ!」


 竜田国は確かに豊かだ。角倉聖と言う名の大将と二人で外を歩いていてもそう感じられた。人々は笑い、気軽に聖に声をかける。今だって八百屋のおばちゃんが聖を呼びとめ、幼子を預けてどこかへ行ってしまった。急に腕の中に押し付けられた女の子を見て母親が消えた方へ視線をやって、聖が苦笑する。


「急だよなあ」

「ひじりしゃん、こんにちは!」

「こんちは。鈴ちゃん大きくなったな」


 抱上げた幼子に笑われて、聖も柔らかい表情を返す。途端に恥ずかしそうに顔を逸らした子どもに笑って、正悟に「かわいいよな」と言う。四つ程度のこの少女は八百屋の子で、看板娘になるだろうという。母親とも親しくしているらしい。こういう光景を正悟は本部に戻る間にもう何度か見た。いろんな人に声をかけられ、笑顔で少し立ち話してそうして、いろんなものをもらっていた。
 今回もそうらしく、しばらくして戻ってきた八百屋のおばちゃんは手に白菜と春菊を持っていた。何してきたの、と言う聖に対して回覧板を届けてきたと笑顔で返し娘を受け取るが、当の幼女は離れたくないのか不満そうな顔をしてる。


「鈴ちゃん、可愛い顔歪んでんぞ?」

「ぶー」

「聖さん、これ持ってって。白菜と春菊」

「うわ、さんきゅ。これ今夜鍋だな」


 今までに鶏肉や豆腐など、まるでみんな狙っているかのように鍋の材料をくれた。聖はすき焼きと鍋と悩んでいたようだが、今のが決定打になったようだ。にこにこと受け取って、もう既に両腕にたくさんのものをぶら提げているにもかかわらずそれを抱えた。うまそう、と言いながら涙目の幼子に「またな」と声をかけて背を向ける。


「正悟、お前辛いの食えるか?」

「大丈夫です、けど」

「じゃあ辛い鍋にすっかなー。あ、惣太辛いのダメだっけか」


 ぶつぶつと言い出した聖の隣を歩きながら、正悟は違和感を抱える。それを緩和するように、懐にそっと触れた。
 この国は、ひどく暖かい。特に軍は貴族だろうと庶民だろうと分け隔てなく接してくれるし、大将自身がよそ者である正悟に好意的に接してくれる。彼はひどく優しい顔で正悟を見た。けれど、それは実際は彼だけだ。仲間意識は強いのに、大将に倣って正悟に好意的に接してくれるのにその顔はどうしても本気で好意的にはみえなかった。表情は笑っているのに、目だけで疑っている。それがひどく苦しい。
 よそ者だからしょうがないと分かっていても、大将にこの目を向けられてしまったらもうだめだった。仲間に入りたい、と思ってしまった。
 だからいよいよ辛くなるそうなる前に、正悟は決めなければならない。










「たでーまー」


 結局本部に戻ってきたら空はオレンジ色をしていた。腕に食材を抱えてすぐに詰所へ向かう聖の後を追いながら、正悟は大将に対してはにこやかに挨拶する兵たちの冷たい視線を感じる。やっぱり、ここは自分の居場所ではないのかもしれない。やはり早く国に帰った方がいいかもしれない。帰ったところで、いいことはないだろうが。


「師範!おかえりなさい!」


 どこにいたのか、すぐに惣太がかけてくる。彼が来た方に視線をやれば吉野が立っているので、丁度居合わせたのだろう。吉野の目ですら一瞬冷たく細められて正悟を捉える。聖は気づいているだろうか。おそらく気づいてはいないのだろう。聖は二人に気づいて足を止め、腕の中の食料を見せ「今夜は鍋だ」と笑う。二人は柔らかな笑みを浮かべ、じゃあみんなで囲みましょうという。その暖かい雰囲気に正悟は加われない。


「どうでした?」

「井戸壊れてる。明日から修理に人数出さねぇと」

「そうですか。それで、その食料は?」

「もらった」

「季節ですねぇ。惣太君、準備手伝ってください」

「はーい!」


 聖から食材を受け取った惣太のそれを吉野が覗き込む。材料を確認している二人から正悟に視線を移し、聖は惣太を見た。そうして、眉間に皺を寄せて首を傾げる。その視線から逃げたくなった。好意を寄せてくる大将と、冷えた色を消して失わない兵たち。その温度差も辛いけれど、聖が向けてくれるこれがなによりもこわかった。


「疲れたか?正悟」

「……俺に構うな」


 どうせ失くすものならば、初めから手にしていたくなどない。いつかこの目が冷たいものに変わるのならば、初めから見たくなどない。あとで苦しい思いをするのは、自分なのだから。
 そうして、正悟の手が懐に忍ぶ。故郷においてきた恋人は元気でやっているだろうか。再び会うことが出来るだろうか。分からないけれど、成功したら考えることにした。
 吉野と惣太がそろって視線を移したとき、正悟は懐から長細い其れを抜き出した。肌で温まっていたはずなのに銀色に鈍く輝く刀身は冷たい。それを、何も見ないでただ聖の方に振り下ろす。彼に拾われてから何度も考えた。自分は此処に居たらいけない人間だと。彼を殺せば、自分もこんな温かいものが手に入るのではないかと思った。
腕に鈍い衝撃が走って、一瞬あたりが怖いくらいに静まり返った。聖が息を呑んだ声だけが聞こえ手の先を見ると、短い刀身を大きな掌が包んでいてそこから真っ赤な血が滴っている。殺される、と確信して正悟は無意識に懐刀を取り落とした。

「痛ってー……」


 聖の息に混じった声で、音が返ってくる。カランとやけに大きい音が刀が地面に落ちたことを知らせる。ゆっくりと惣太と吉野が振り返り、とたんに眼を見開いた。聖の手から滴る血と落ちた懐刀に視線を移すと、途端にその瞳には憎悪の色が浮かぶ。
 殺されるなら本望だ。上手く大将の首がとれたところで、ここから逃げ出せるわけもなければ国に帰れても命が助かる保証はない。だったら、今の内に殺して欲しい。


「……何やってんだよ!!」

「惣太!」


 惣太が叫び、腕を振り上げた。彼の腕を止めようとした聖の腕は吉野に掴まれて、正悟は硬く眼を閉じる。このまま殺されることは覚悟が出来ているから。頬に感じた痛みは衝撃だけが先に来て、倒れこんだ背中の衝撃で息が詰まった。それでも、生きているのかと驚いた。


「やっぱり、お前もそうだったのかよ」


 その体から出るのかと思うほどに冷たい声が惣太から聞こえる。その瞳には裏切られた痛みなんて映っていなくて、やはりと言う落胆の色が微かに見えた。徐々に鈍痛を訴えてきた頬に手を当てると、紅くなっているのだろう熱を帯びている。口の中をきったのか鉄の味もした。


「惣太!」

「聖さんは黙っていなさい。手当てしますから、こっちに来なさい」


 聖の叱責するような声にも惣太は振り向かない。振り向かせようと出した手を吉野に取られ、聖は目を眇めて吉野を見やった。しかしそれ以上に吉野が怒っているのか淡々と言って聖の腕を掴んだまま道場に引っ張っていく。
 それを片目で見送って、惣太は倒れている正悟を見下ろした。


「誰もお前なんか信じて無かったよ。師範が信じてたから、俺達は信じてなかった」

「……んでだよ」


 初めから、全て偽善だったのだと。冷たい声ではっきりと告げた惣太に正悟はうなった。なぜ、彼等はそうまでして彼に忠誠を尽くすのだ。なぜ、彼の為に、自らを追い詰めるのだ。彼が信じているから、自分達は信じないのだ。まるで、彼に全てを託しているように。
 それがどうしてだという問になって正悟の口から漏れる。自分は知らない。こんな感情、しらない。


「なんでお前等はそうなんだよ!あの人が嫌な人だったら俺はあの人を殺して国に帰れたんだ!なのになんで……、なんでお前達はあの人にそこまで出来るんだよ!!」


 普段は憎まれ口だって叩いているのに。彼が世に言われているような戦の申し子で本物の鬼だったのなら、彼を殺すことに躊躇いなんかしなかった。でも、彼は余りにも優しすぎた。自分を信じてくれすぎた。ここにいたいと思ったのに、ここに自分の居場所は無いのだと思ってしまった。だったら、自分からこの場所を切り捨てたかった。
 掠れた声で叫ぶと、惣太は先ほどまでとは違う誇りに溢れた声で言い放った。これは、みんなの代弁だと言うように。


「決まってんだろ、師範が大好きだからだよ」

「……俺……っ、俺………」


 本当は、こんな場所が欲しかったんだ。
 震える声で、正悟は自分の手をゆっくりと持ち上げた。先ほどの鈍い感触がよみがえってきて背筋が震える。自分は、彼を傷つけてしまった。彼はあんなに自分に優しかったのに。本当は、惣太が羨ましかった。彼の隣に当たり前にいられる彼が。無条件に信頼されている彼が。


「この間さ、臼木と戦したんだ。そのときに信頼してた兵に裏切られた。だから俺達は信じちゃいけないんだ、師範が信じてるから」


 そのときの光景を思い出して、惣太は瞳を歪めた。泣こうと思っても泣けなかった。誰一人、鉄五郎を疑うものが居なかったから。そして誰も責めることが出来なかった。だれも、悪くなかったから。あのときのような顔を二度と大好きな大将にさせたくないから、誰も信じない。


「ま、もうお前は仲間だから」

「なん、で?」

「だって聖さんを殺そうとして殺せなかっただろ」


 そんな人間が裏切ることはしない。にかっと笑って惣太は手を差し出した。その手はあの時差し出された彼の手と同じくらい温かかったと思って、正悟は笑った。
 自分も仲間に入れるだろうか、と一瞬問うてすぐに大丈夫だと確信する。もう惣太が仲間の顔をしてくれているから。なんだか正悟は、ここに故郷の村を思った。


「聖さんも怒ってないし、行こうぜ」

「……師範殿に似てるな、お前」


 正悟がそういうと、惣太は少し恥かしそうに笑った。そうして、先ほど取り落とした食材を拾い上げて近くにいた兵に託すと詰所へと駈けていく。その背中を追って、正悟はこそばゆい思いを感じながらどこかすっきりして走った。










 純度の高い焼酎を噴きかけて、吉野は不機嫌に眉を寄せた。目の前の聖が怪我を負ったというのにへらへら笑っているから、苛つきは募るばかりだ。なぜ彼は自分の身を省みないのだろう。
 不在の軍医に代わり詰所で治療を開始したはいいけれど、ろくなものがなかった。これはあとで軍医に見せたほうがいいだろう。


「いてぇって吉野!」

「自業自得ですよ、全く」


 自覚があるのか疑ってしまう。自分がどれだけ慕われているか、無くてはならない存在なのか分かっていないだろう。きつめに包帯を巻いて、吉野は聖の手を叩いた。真っ直ぐ入った斬り傷は思ったより浅かったが中々出血は止まらない。この包帯も直ぐに紅い染みが出来てしまうだろう。


「……これで、あいつもケリがつくだろ?」

「貴方は僕達にとって必要な人間なんだって、自覚してくださいね」


 自分のことよりも彼の気持ちを慮って微笑んだ聖にぽつりと呟いて、吉野は視線を逸らした。聖が意外そうな顔をしているのは分かっているからその顔を見ないようにしたのに、吹き出したような声が聞こえてつい顔を向けてしまった。聖は、鳥肌が立つように綺麗な笑みを浮かべていた。


「悪かったな、親友」

「いつものことですよ、親友」


 吉野もふっと微笑んで、いつもの言葉を返す。なんとなくそれですべてが終わったような気がして、包帯を巻き終えた手をぽんと叩いた。きっと明日から仲間が一人増えるだろう。否、今からか。みんなで鍋を囲んで笑いあうのを想像しながら、吉野の唇が緩やかに引きあがった。
 外からは、二人の少年の元気な声が聞こえたところだった。





−続−

正悟が仲間入り!