くらいくらい空へ朱い時が降る、東







 愛おしい人の面影を探して、私は今日も他の男に抱かれる。
 ここがそういう場所だと生まれたときから理解しているし、私は恵まれている方だとちゃんと知っている。
 ここで生まれた私は外の世界を知らないけれど、私はこの国で一番の女らしい。竜田国黒門の最高級妓楼、旗野。そこに私は生まれた。
 同じ世界の女たちすべてに恨まれたところで、私は幸せじゃあない。たった一晩だけ私を愛してくれた人の面影は、生まれた息子には移されていない。悲しいほどの私に似た息子をそれでも愛している。

「今日は一緒にいられるといいね」
「ね!」

 夜の仕事の私は息子と一緒に寝ることができない。私が寝ている時間は彼は起きているし彼が眠っている時間には私が働いている。だから一日のうち唯一時間を共有できる夕方はずっと一緒に過ごす。
 過ごしていても彼は聡く賢いから、決して甘えてはくれない。それを嬉しく想いもするし、切なくもなる。ここの子供は、いい子過ぎるから。

「そろそろ仕事だぞ」
「お仕事だって」
「はぁい」

 西の空が橙に染まる頃、店の人やお供から今日の客を知らされる。
 毎日のように息子に今日は一緒に過ごせるといいね、一緒に寝たいねというけれど、私に良く似た息子はいつも少し不安そうな顔を無理矢理に無邪気な笑みで頷くだけで。その無邪気なものが痛々しい。
 部屋にやってきた私の供は、毎日繰り返される同じ光景に少しだけ目を細めるけれど、何も言わない。伝えてくれるのは、今日の客のこと。

「坂下の若様だ」
「どこまで?」
「朝まで」
「……分かったわ」

 坂下と聞いて胸が痛まないわけじゃあない。私が初めて愛した人は、国でも高位の角倉の御当主。坂下は真坂の分家で坂下様は、その人に良く似ている。
 朝までとはまた、ずいぶん払うと私は誤魔化すように笑って目の前の小さな息子を抱きしめた。私を一晩買うのには、莫大が金がかかるというのに。けれどそれがなければ私は、生きていけないから。

「じゃあひーちゃん、今日もいい子にしてるのよ」
「がんばってね」

 ここで生まれた息子も、きっと何かを感じている。切ない顔で腕の中で私を見上げ、私に良く似た顔でにこりと笑った。まだ幼い子供はすでに愛想笑いを覚えている。
 そこから先は簡単で、着付けと髪結いをされて化粧を施される。そうして私は、黒門一の妓女になるのだ。この姿を息子に見せたくはないけれど、彼も部屋にいてしまうから。

「かーさん、今日もきれい」
「ありがとう、ひーちゃん」

 それでも毎日、奇麗だと言ってくれるのが嬉しい。私と求めた人の血を織り交ぜ私の面影ばかりを持つ息子に綺麗だといわれることはとても幸せなのだと。
 息子の額に軽くキスをして、私はお供に手を引かれて店を出る。店にはまず逢状が届き、茶屋に出かける。あわただしく他の女たちが歩いた後を私は歩く。それが私に与えられた特権と重圧だった。
 そうして今日も、私はゆっくりと店へと歩いていく。男なんていくらでも待たせておけばいい、と教えてくれたのは私に教育してくれた人だった。

「失礼いたします」

 楼閣の最上階が、私の部屋。私が客を取るのはここに決まっている。
 襖を開けると、既に酒を呑んでいる男が顔を綻ばせた。その顔はあの人に似ているけれど、あの人よりも柔らかい表情で私を見る。それが嬉しくもあり、落胆でもある。

「あぁ、燈さん。今日も奇麗だ」
「坂下様、今日もいらしていただいてありがとうございます」

 坂下様はお得意様の客の一人で比較的頻繁に通ってくる。宵の口に帰ることもあれば一晩過ごすこともあり、今日は夜を越えるのだという。
 お客様を大門までお送りするのは、酷く辛い。それが朝だと更に辛いのはきっと私だけじゃあない。

「今日も舞子を連れてきていないのかい?」
「えぇ。ご希望ならこれから呼びますけど、どうなさいますか」
「いや、いいよ」

 舞子といわれるのはまだ店に上がれない見習いやここに生まれた子供たちで伴奏や後ろを頼んで私たちが舞いを踊る。私はいつも自分の舞子に女装させた息子を連れていた。けれど坂下様の前にはあまりあの子を出したくないから、一度目以降決してつれてこない。
 相手に酌をしながら、私はこの人の中に好いた男の面影を探す。どうしてこの人はあの人に似ているのか、分からない。

「癒しておくれ、燈さん」
「あら、今日はどうなさったの?」

 私が来る前からだいぶ呑んでいたらしい坂下様は、酌を始めてすぐに赤くなった顔を近づけてきた。まだ西の空がやっと宵闇に染まり始めた頃で、外からも客引きの喧騒が少し聞こえてくる。
 だから私は、彼の腕から逃れて部屋の三味を手に取った。それを少しずつ爪弾いて、宵闇の向こうに幻想をみる。
 この人の子供を生めたら幸せになれただろうか。
 あの子が少しでもあの人に似ていたら。
 せめて、生まれないでいてくれたら。
 いつも思う詮のないを私は爪弾きながら、また思い起こす。けれど答えは決まっている。
 どうしたって、私はあの子を手放すことなんてできやしない。

「燈さん……」

 そうして私は、今宵も夜の闇に埋もれる。暗い部屋で私を抱く男に別の男の幻像を重ねて、仕事なのだと涙を流して私は男の背中を掻き抱く。
 いつかここから出るなんて夢も見ていない。けれど酷く朝を迎えるのが怖いときがある。空が明るくなる瞬間が酷く怖くて、朝になんてならなければいい。





 朝になれば、女たちが帰宅する男たちを送りに大門へと共に店を出る。それも私は、一番最後に出て行くのを許されている。
 東の空は明るい紫色をしていて、無常な朝を私に知らせた。

「また来るよ、燈さん」
「お待ちしてますよ」

 名残惜しそうな唇を受けて、私は彼の手を離す。踵を返したその背中が、あの日見送った男に酷く似ていた。
 きっとそれが嫌いで私は朝が嫌いなんだ。
 朱い空は、あの日と一緒。

「燈、戻るぞ」
「うん……」
「かーさん!」

 後ろから声をかけてくるのは、私の幼馴染兼お供。振り返った私の視界に映ったのは、駆けてきた可愛い息子。
 いつもならば寝ているであろう時間に、彼はまだ元気で私の元に駆け寄ってくる。ぽすんと受け止めれば、満足げな顔が持ち上げられる。

「ひーちゃん、どうしたの?」
「早起きした!」
「早起きすぎじゃない?」
「もう一回一緒にねよ」

 ニコニコと笑う息子はやっぱりもう今の私には、それがきっと誰との子でも大切な息子。
 その息子の小さな手をとって、繋いだ。私よりも遥かに高いのは子供だからか、走ってきたからか。けれどそのぬくもりは冷えた私には心地よかった。
 一度振り返って、切ない色に染まる空を見た。
 新しい一日は、こうして毎日始まっている。





くらいくらい空へ朱い時が降る、東
(ひーちゃんを湯たんぽ代わりにして寝よう)