終わりが来ないのを知っていたのに始まりは待っていた







 身を焦がすような焦燥と言うものが、ある。
 特に思い当たる原因があるわけではないし、焦燥を感じるほど追い詰められているわけではないはずなのだけれど。
 でも僕は、何かに追い詰められている。

「あぁ、そうだ」

 駅のホーム。昼過ぎの駅には営業に出かけるのか戻ってくるところなのか、はたまた失業中なのか分からないスーツの男の人たち。もしかしたら僕と同じ就活生かもしれない。
 コートのポケットから最近買い換えたスマートフォンを取り出して、メールの確認をする。一日に何十通と来るメールは、僕を萎えさせるには十分だ。必要なメールをタイトルだけで見分けて、開いていく。
 説明会の受付開始のメールは、その場で速攻予約を行う。まだ慣れていないスマートフォンの画面を弄るけれど、もう満席状態で。一体いつ来たメールだと時間を見ると、僅か十五分前の着信だった。
 選考結果のメールを見て、なんとなく雰囲気でこれはダメだと分かりながらサイトにアクセスしてページを開くと、案の定「今後のご健闘をお祈り申し上げます」なんて白々しい文章で結ばれていて。だったら内定出しやがれ。

「あ、ユキ」

 溜息を吐き出して携帯をポケットに仕舞ったとき、知らない声に愛称を呼ばれた。
 自分のことじゃあないかもしれないから端目で確認を取ってみたら、久しく会ってない幼馴染がそこに立っていた。
 リクルートスーツにコートを着た僕とは違って、私服で。僕よりも遥かに小さな手を擦り合わせるその手に、手袋はない。

「久しぶり。成人式以来?」
「だな。どっか行くの?」
「帰るとこ。ユキは……就活?」
「まぁね」

 後ろに並んでいる人がいないからか、カナコは僕の隣に立って少し身を乗り出すようにして電車が来る方を見た。こちらに向かってくる頭が、段々大きくなっている。
 極力さらっと答えたつもりでいたけれど、内心は荒れていた。こいつは就活しなくていいのかとか、今どういう状況なのだとか。自分のことが見えないときは、周りの状況が気になってしょうがない。
 僕は、臆病者だから。
 ホームに滑り込んできた電車が、僕たちから会話を奪った。お互いに口をつぐんで、左右に分かれる。降りてくる人並みと交換に車内に乗り込み、直進してドアの前に陣取るように背を預けた。
 カナコは、隣にいる。

「ユキはどこ大だっけ?」
「……A大」
「ふぅん」
「お前は?」
「S大」

 カナコは、この近くの名門の名前を出した。そして僕は、動揺する。口では頭いいんだな、なんて言いながら、心の中をじっとりと焦燥が乗り込んでくる。
 僕の通う大学は可もなく不可もなくという奴で。一応名前だけは知られているけれど、能力的には三流で。
 大学の職員はこぞって、お前たちなら大丈夫だというけれど。それでも僕は、学力コンプレックスなんだ。

「どこ目指してるの?」
「一応、電機メーカー」
「昔っから機械好きだもんね。私この間企業の人から電話来たよ」

 ドキリと、心臓が音を立てる。
 やっぱり有名大学は企業の方から取りに行くとか当然に行われているんだと思ったら、得体の知れない焦燥がじわじわと、胸の中を覆っていく。
 急速に、音を立てて。
 じわり、じわりと。
 緩やかに、僕を満たす。

「説明会に参加しませんかーって」
「へ、へぇ……」
「興味ないんだけどね。ユキは?そういうのないの?」
「ないよ」

 年末に一冊の本を読んだ。本だってインターネットの情報だって、デマか、それでなくても釣りの情報が多いから惑わされてはいけないと分かっているけれども。
 有名大学は、企業に積極的にアプローチをもらえる。中堅大学だって、人間扱いされる。それ以外は、ゴミ以下だと。つまり僕は、犬畜生以下の存在でしかないのだ。

「そうなんだ?私の友達も結構おおいけど」
「そりゃ、天下のS大じゃあね」
「関係ある〜?」

 大有りだ、馬鹿野郎。
 説明会に行っても面接に行っても、気になるのは参加者の学校名だったりして、ちらちらと確認する癖がついた。
 そういう人は大抵自分に自信を持っていて、明るくて、ひねていない。
 僕とは、正反対だ。
 こんなふうに努力は結ばれるんだってことを、努力は評価されるんだってことを信じている人間と、僕は正反対だ。

「カナは就活は?」
「まだ何もやってない。学校で話聞くくらいかな」
「余裕じゃん」
「何も考えてないだけ。ユキこそ偉いね」
「普通だよ」

 僕は少しだけ、カナコに嫉妬した。
 何も考えてないってのは、何も考えなくて大丈夫な状況にいるということで。つまり、カナコは僕に優越している。
 僕みたいに動いている学生はそれこそ星の数ほどいて。同じ時期に動いているS大生だって見たことがあって。そんな奴らに、僕は勝てない。
 そもそも過去の経験うんぬんと社会はいうが、そんなものは今更変えられない。留学してれば偉いのか。部長をやっていれば偉いのか。そんなやつが、世の中には何人いるかも知れないのに。
 僕らをふるい落とす人間は、そんなにでかい人間ではないくせに。

「がんばってね」
「おう」

 電車の扉が開く。いつの間にか電車は二つ先の駅にまで来ていたようだった。
 そこで、カナコが手を振って電車を降りる。
 電車のドアが閉じるのを待って、携帯をポケットから取り出して。メールを確認しながら、大きなため息が漏れた。
 僕だって努力が実ることを知っている。けれど、それは全ての努力が実っているからじゃあない。実らなかった努力は認められないから、努力は実るように見えるだけだ。
 内定率だ就職率だも、犬畜生以下の僕らと優秀な奴らの平均だ。だから、そんなの目安になんてなりゃしない。そんなこと、分かっているはずだった。
 胸の中をもやもやと締め付ける焦燥。
 どこから来たかもわからないそれは、僕の胸を音を立てて締め付けた。

「メール着信、十件て」

 たった十分にも満たない時間にやってきたメールをチェックして、接続してもまた説明会の席は満席で。
 僕を追い立てる焦燥の理由を、僕は知らない。
 けれどそれは確実に僕を追い詰め、真綿で首を緩やかに絞めていく。
 人生は、まだ終わらない。いつ終わるかも見当がつかない。
 そのスタートラインに、僕は立ってしまった。スタートラインは、僕を待っていた。
 いつ終わるとも知れない人生に、最初の痛みを抱えながら。
 焦燥だけが、僕を追い詰めていく。





終わりが来ないのを知っていたのに始まりは待っていた
(この焦燥は一生僕の首の周りにいるだろうことは、知っている)