真昼の星を探しにゆくよ







 目に見えないものは信じない。それは昔から変わらなかった。
 目を瞑れば見えなくなる。それはすなわちなくなったことと変わらない。目で見えて触れて、実感できるものでないと信じられない。
 信じるのが、怖い。もしも信じてそれが絵空事だったら傷つくのが目に見えているから、傷つくのが怖い弱虫なのだ。

「貴方の何を信じればいいの」

 傷つくのが怖い俺は、怯えて全てから身を守るように閉じこもった。自分を閉じ込めて虚構を演じて、そしてその自分は何度も傷つけられる。
 けれどそれは俺じゃあないから、俺は傷つかない。
 目の前で泣いている女にも、愛してるだとか好きだとか、心にもない言葉をたくさんかけた。
 愛しているとキスをして。
 一番大切だと抱きしめて。
 ずっと一緒だと手をつないだ。
 けれどそれが本心だとは自分でも思えなかった。滑稽な自分を遠くで見ている本当の自分がいる。作られた自分を、本当の自分が見て嘲笑っていた。

「貴方の言葉は、信じられないわ」

 目の前で、女が泣く。それでも俺は悲しくない。
 女の赤い唇が震える。俺の表面は悲しそうな顔を作る。
 信じられないのは、俺の方だ。愛しているだとか好きだとか、目に見えない言葉なんて信じられない。どんなに思っても伝わらないように、何を思っても伝わらない。

「本当は私のこと、愛していないんでしょう?」

 何度も伝えた。言葉で伝えるのは苦手なんだと、態度で教えてあげると。それでも伝えたのは、上っ面だけの愛と言うはりぼて。
 愛しているなんて思えなかった。それでも愛していると口では簡単に言える。
 好きだなんて感じなかった。それでも好きだよと抱きしめることができる。
 だったら、何を信じようか。

「俺は苦手なんだって、そういうの。分かってくれよ」
「分からないわ」

 言葉では伝わらない。
 態度でも伝わらない。
 それならば何を以って伝えようか。何を伝えてもらえるだろうか。
 結局俺は、この女から何を伝えられたことはない。口だけで囁く愛だとかただ抱きしめる腕だとか、何も伝わりはしなかった。それを実感した自分が欠陥人間なのか知りはしないが、愛なんて白々しい感情はきっとこの矮小な手のひらには余ってしまう。

「ひどい男だわ」
「お前は俺のこと、愛してたって言うのかよ?」
「えぇ、言うわよ」
「証拠なんて、どこにもないのにか」

 愉悦の形に歪む唇。それが女の瞳に映る。彼女を介してみた己の姿は、ひどく作り物めいていた。それでも口元だけはやけに人間らしく生きている。
 きっと俺は愛だとかいう温かい感情なんて備わってなくて、憎悪だとか狂気だとかそういった負の感情ばかりが沈み込んでいるのだろう。それとも、どこかに埋まっているのだろうか。
 だれか掘り起こしてくれないか。そんな顔をしている前に、俺の中の良心を掘り起こして目の前に突きつけてくれ。

「証拠って、あんなに……」
「何一つ、眼には見えねぇんだよ」

 お揃いで買った指輪もハートマークがいくつもついたメールも、目には見えるけれど眼に見えるものは嘘を吐ける。どんな気持ちで買った指輪か、どんなことを考えて書いたメールかかんてやっぱり誰の眼にも触れやしない。
 だから、何も信用できるものなんてありやしない。
 なんだって信用に足る物の裏には信用に足らない気持ちが隠れている。だから結局、形ばかりのものは信用できない。

「どうしたら、人を愛せる」

 こんなに弱くて脆い、硝子なんて表現するには下劣過ぎる俺に。どうやったら人を愛し本心を見せることができる。傷つくことを恐れ逃げ惑い姿を隠して身代わりを捧げている俺には、愛なんて甘美なものはどこにも埋まっていないのだ。だから、誰も掘り起こせない。

「どうしたら、人を信じられる」

 遠くで見ている自分だって辟易している。
 歪みきった自分。
 他人と決定的に違う感覚。
 共有できない痛み。
 隠した本心。
 全部が全部俺を構成し、そしてその構成成分は俺を中心に俺の中で完結している。だから俺はきっと、死ぬまで孤独でいるのだと。そう思っていた。
 今もまだ、そう思っている。誰も、俺の本心には気づかない。
 
「白々しいこと、言わないで」

 いつだって俺の求める答えが返ってきたことはない。だからきっと、俺は生まれてくる何かを間違えた。
 だからただ楽しい世界で世界の形に会った自分を作って楽しいふりをしている。
 歪んでいる俺に居場所なんてどこにもありはしないんだと諦めて、妥協している。だから俺は、永遠に遠くで世界を見ている。覚悟は当の昔からできていた。

「白々しいって、なんだよ」
「何も信じたくないくせに」

 信じたくないんじゃあない。信じられない。信じることが怖ろしいから、俺は。
 見えないものは信じなくて、見えるものも信じられない。俺の中では言葉も感情も、白々しさを纏った一種の道化の玩具でしかない。
 それを利用して生きている俺に、嘲笑が浮かんだのはいつだっただろうか。

「信じねぇよ。見えねぇんだから」

 見えたとしても触れられないのは吐き出した紫煙。
 そして去っていく女の姿。手を伸ばした所でこの場所からではもう届きはしない。
 空にとける白煙を眼で追って、空に真昼の月を見た。白々しく消えそうなほどに薄く、そこに月は静かにあった。

「真昼の星、か」

 確かにそこに存在しているのに見えない、真昼の星。絶対にそこにあると知っているのに、見えない。手を伸ばした所で届くわけもない。
 それはもしかしたら、似ているのだろうか。それならば、少しは信じるのも悪くないのではないかと。戯言ながら浮かんで消える言葉。
 真昼の星を数えることは、暇つぶしにはいいかもしれない。





真昼の星を探しにゆくよ
(何にも信じない俺は、俺自身を一番信用していない)