日本人は戦争のために氏名以外にも10桁のナンバリングを持つ







 どうしてこんなことになったのだろう。
 どうして、こんなことに。同じことを何度も考えてもここから出られるわけではない。ジメジメとした地下の牢屋はとても汚らしかった。

「こんな所にきてまでヘラヘラ笑ってやがるぜ」

 ぼくには分からない言葉で、見張りの兵士が吐き捨てる。
 カビっぽい空気、排泄をする場所もなくただ薄い壁と鉄格子で区切られた個室というに憚りのある暗い牢獄。
 ここは兵士としてのプライドを簡単にへし折ってくれた。
 けれど、ぼくは生きている。それだけで十分だった。

「神経がしれないな。狂っちまったんだろ」

 ぼくはインドシナ半島の戦線で戦っていた。相手は、ジャパニーズ。今は戦況が芳しくないが、そのときはまだ我がイリギス軍が優勢を極め黄色人種のジャップを追い詰めていた所だ。
 偵察に向かった際ぼくは日本兵に捕まり、捕虜になった。
 この国の人間は捕虜に対する人道的待遇ができないようで、まるで罪人のような扱いを受けている。それこそ、血を吐きたくなるような恥辱を。

「こんなところで捕虜になるなんざ正気の沙汰じゃない。捕虜になるくらいなら死んじまえ」

 一人の日本人がぼくの牢屋に近づいて、木の棒のようなものでぼくの頭をゴリッと小突いた。ぼくは国でスパイ訓練でジャパニーズを学んだから多少なら聞き取れる。
 死んじまえ。この単語だけは聞き取れた。
 死とは誰も強要し得ない。この命は神が下さったものだから、誰も奪えやしない。それを死んでしまえというジャップの気がしれない。せっかく助かった命なのに。

「そういえば聞いたか?韮澤伍長の息子さん、突撃隊に志願したらしいぜ」
「本当か?突撃隊って言ったら爆弾持って突っ込むアレだろ。まだ二十にもなっていないのに」
「よく伍長も許せたよ。日本の誇りだ、ああいう人は」

 トツゲキタイ、バクダン、ホコリ。聞き取れるのは単語だけでも、それが馬鹿げた作戦だということは簡単に分かる。
 ありえない作戦だ。爆弾を持って敵陣に突っ込むということは、自ら死ぬようなものだ。自殺はいけないことだ。それをプライドだというのか、この国の人間は。どうかしている。

「これであの毛唐どもに一泡吹かせられるってもんだ」
「毛唐ってお前、何時代の人間だよ」
「心に大和魂。これが日本男児だ」
「ま、今や武士道は万人のものになったからな」

 ぼくには妻もいなければ子供もいない。けれど愛する恋人はいる。その人ともし子供ができて、彼が戦争に行くなんて考えただけで冷や冷やするし、彼が戦争で死ぬなんて考えられない。
 それをプライドだと笑える彼らは、どうかしている。

「突撃隊のおかげで戦況も更によくなるだろ」
「突撃隊なんて登場する前にあっちが降伏してくれればいいんだけどな」
「全く。あっちの女王様はワガママらしいからな」

 女王の悪口を言うんじゃない!
 叫びたかったけれど殴られ嬲られた体はきちんと機能せず、指一本動かせなかった。
 こんなことならば死んだほうがマシだと何度も思った。けれど生きていれば国に帰れる。愛する人にも会える。
 こんなところで死ぬなんて、馬鹿げている。

「お前、今度の補給船で現場出るんだろ?」
「あぁ。女房がお守り縫い付けてくれた、全く、死ににいくんじゃねぇのによ」
「いい奥さんじゃないか。うちなんて『みっともなく生き恥晒すよりは死んで来い』だぜ?」
「いい女房だ」

 からからと笑う日本人。
 彼らは何を考えているんだろう。こうも簡単に『死』を口に出すなんて。死は尊く畏怖すべきもので、笑えるものなんかじゃない。
 ぼくは初めて、ジャパニーズに対して恐怖を覚えた。
 こいつらは、人間じゃない。死に怯えぬものは人間なんかじゃない。ましてや死を望むなんて。狂っている。
 そんな物を相手に僕たちは戦争をしていたなんて。信じられなかった。

「……出来れば、生きて帰ってきたいな」
「あぁ。でも……生きてこいつみたいになるのはご免だな」
「全くだ」

 何とでも言うがいい、東国猿。お前らは猿以下だ。人間じゃない。
 ただぼくの背中を走ったのは、言い知れぬ戦慄だった。
 理解しあえぬものたち。決して交わらぬ思い、感情。そして、伝わらない価値観。角度の違うすべてが怖ろしくてしょうがなかった。
 思わず、聖歌を口ずさんで神に許しを乞うた。
 どうか、ぼくをたすけてください。

「何だこいつ、歌なんか歌いだして。いい気なもんだ」
「これだからガイジンの考えていることは分からん」
「全く。気味の悪いもんだ」

 どうか、ぼくを助けてください神様。
 日本人はぼくたちとは違うんです。全く別のものなんです。『死』を恐れぬ、怖ろしいものどもでした。
 どうか、どうか。

「……Help me……」

 怖くて怖くてたまりません。日本人になんて初めから勝てるわけがなかったんです。ぼくらは、人間なんですから。
 この狼どもに……、いいえ、狼以下のジャップに勝てるわけがないのです。彼らは、死を恐れないのですから。

「おい、こいつヘルプミーとか言ったぞ」
「とんだ腰抜けもいたもんだ」

 げらげら笑う声さえもぼくたちとは遠く離れたものに感じた。
彼らは一しきり笑った後、どこからか酒をグラスを持ってきた。もちろん、日本の平べったくて薄い器だ。お互いにそれにとろみのある液体を注ぐ。
 こんなところでビアパーティとは、やはり違う生き物なんだ。

「死に水といこうぜ」
「出来ればあって再会したいがな」
「全くだ」

 恐怖する対称であるだろう日本人。
 けれどたった今垣間見た彼らの優しい微笑みに、思わず胸が締め付けられるようだった。





日本人は戦争のために氏名以外にも10桁のナンバリングを持つ
(神様、一筋の光を与え給え)