いー、ある、さん、すー、うーろんちゃ







 昼休みに予算折衝の準備をしようと、部室に立ち寄った。
 鍵が開いていたから誰がいるのかと思ったら、聖がたった一人でソファにふんぞり返って雑誌を読んでいた。

「あんた、一人で何やってんの?」
「逃亡中」

 むすっとした顔を一度上げて、聖は言った。奇跡としか思えない奇麗な顔の余計な肉の削ぎ落とされた頬が赤く腫れている。
 訊くのも馬鹿らしいのでテーブルの上に必要なものを出して作業を開始する。僅かに視線を上げて聖を見ると、もう興味無さそうに雑誌に顔を戻している。いつも誰かしらと一緒にいるお祭男が、珍しく落ち込んでいるみたいだ。

「なー舞依」
「んー?」
「俺のどこがいい訳?」

 答えが分からない質問を低い声でしてくんじゃないわよ。
 聖ファンに言わせれば一発で孕むくらいの美声を更に低くして、聖は囁く。けれどこれは別に色仕掛けとかじゃなくて、ただ落ち込んでいるだけだってことは付き合いも長いから分かるつもりだ。
 私が言葉もなく黙っていると、別に聞いたわけではないのだろう雑誌を閉じて勝手に喋り始めた。

「女って俺のどこに惚れんの」
「……惚れてない私に訊かないでよ」
「俺に惚れない女、お前だけ」
「あーあ、世界中の女はみんな頭沸いてンじゃないの」

 聖は今、四股中。一人はずっと続いている本命なんじゃないかって思ってたけど、みんな浮気。
 去年、聖は本気で恋をした。関係があった女の子全員振って、本気の恋をした。そして、それを失った。それから爆発的に彼女の数が増えた。私はその前後も良く知っているけれど、何も言わない。何も言えなかった。

「少なくとも、顔だけが理由じゃないでしょ」
「……顔って言われた」

 馬鹿一匹。人を好きになることに理由なんてないってことを自分が身に染みてよく分かっているくせに、聖は好かれる自分に疑問を抱く。
 実際、聖は顔が良い分そっちの意味で憧れられて付き合い始めることが多い。けれど付き合い始めたらみんながみんな、聖自身に惹かれていく。それは当たり前のことかもしれないし、聖に限ったことかもしれない。聖を嫌いだと心の底から言う人間を、私はまだ見たことがない。

「いつも自信満々のあんたらしくないじゃない」
「舞依は?」
「は?」
「舞依は男のどこに惚れんの」

 去年は鬱陶しかった。鬱陶しいくらいに女心と言う奴に悩んで苦しんでいた。
 けれど今、今日のはただの戯れだろう。鬱陶しいことを訊く男だけれど、邪険にするのも可哀相に思えた。

「どこって……意味わかんない」
「優しい所が好きーとか、一緒にいると楽しいーとか」
「あー、そういうこと」

 だから、どこを見て好きになるかってことでしょう。私に訊いたってしょうがないでしょうに、この男は私に訊く。きっと私以外には訊かない。
 私はこの男が好きじゃない。
 私と聖は、友達だ。

「舞依って龍巳のどこがいい訳」
「そんな話!?」
「違うけど」

 この野郎!確かに私は龍巳君が好きだけど、だからって今する話じゃないでしょうに。
 別に誰もここにいないし二人だけだから構わないけれど、こいつの口から出されると自分が誰かを好きだと真剣に言っていることが妙に恥ずかしくなった。
 あぁ。コイツは不真面目でだらしないから、だから真剣さを感じられないんだ。

「龍巳君は置いておいて、好きになる切欠とかなんて些細なもんじゃないの?」
「些細な、ねぇ……」
「話してみたら楽しかったとか、趣味が合ったとか。そういうことでしょ」
「……そういうもんか?」
「知らないわよ、あんたのことなんて」

 こいつは別に明確な答えを求めているわけじゃない。ただ戯れの言葉遊びだろう。コイツが真剣になっている所なんて試合中にしか見ることはできない。去年の夏、たった一つの恋で真剣さを使い果たしたように女遊びが激しくなった。噂では外にも女がいるとか。

「俺のことじゃなくていんだけどさ……」
「あの子たちはあんたの隣にいたいって思ったんでしょ。いいじゃない、それで」
「寂しいじゃん」
「あんたにもそんな感情あんのね……。みんなアンタに惹かれてんの、それだけ」

 物分りの悪い子供のように、聖は言った。
 素直に寂しいといえることがこいつの良いところで、みんなが惹かれているということを本人だけが気づいていない。
 私が少しの親切心で言ってやると、聖はまるで初めて知ったような、ぽかんと口をあけている。これ以上何かを言っても信じられないだろうから、私はもう何も言わない。

「俺に何があんだよ……」
「ほかの子に訊きなさいよ。私が知るわけないじゃない」
「お前も俺に惚れろ」
「無理。私あんたのこと嫌いだもん」

 ただの言葉の戯れ。
 何かに傷ついている友人に私は伝える言葉を持たないし、この男も私からの言葉なんて求めていないだろう。
 ただの友達だから言える言葉がある。ただの友達だから届かない言葉もある。
 だから、私とこいつは“友達”なんだ。

「俺は舞依のこと大好きなんだけどなぁ」
「そういうこと言うからあんたのこと嫌いなのよ。もう、全然仕事終わらないじゃない!」
「俺のどこに惚れられる要素があるんだろうな。顔以外で」

 私にしか言えないことがある。
 私では言えないことがある。
 けれど私たちの関係はそんなものだ。ずっと前から、きっとこれからも。
 ただの言葉遊びで、意味のない羅列。
 ただ、何の意味もない戯言でしかない言葉を、私たちは戯れに繰り返す。

「アンタみたいな駄目男が好きな駄目女が多いんじゃないの」

だから、私は。





いー、ある、さん、すー、うーろんちゃ
(こんなことしか言えなかった)