君のためには死ねない







 雨。
 しとしと降ろうがザーザー降ろうが、雨。
 貴女との最初の記憶も雨だった。
 貴女との最後の記憶も雨だった。
 一年越しに貴女に会いにくれば、今日も雨で。
 どうやら貴女は、雨に愛されているらしい。俺は嫌いなんだけどね。

「色気も何もないね」

 一年ぶりの墓参りは、しとしとと湿気が鬱陶しい雨だった。
 一年も前、貴女は死んだ。当たり前のように俺の前からいなくなった。
 あのとき一緒に死のうと思った俺は、まだ生きている。
 この人は、病人とは思えぬほどに快活で口が悪く、女性的とはとても言えない人だった。普段から好みのタイプは女の子らしい子と標榜している俺は、それなのに何故か彼女の惚れた。それだけは自分のことながら理解が及ばない。
 けれどこれから先、絶対にありえないことなのだろう。

「死んだ人に向かって元気も何もないけど、元気?俺は見た目どおり元気に怪我人」

 彼女からの返事はない。そりゃそうだけど、返事があったら怖いけど。
 でもなんとなく返事をしてくれるんじゃないかと、そう思った。
 俺は満身創痍とまではいかないまでも鎖骨にヒビ、擦り傷痣は無数の怪我人。だからかもしれない。会いたくなったのは。生前の彼女なら笑ってヒビ如きでと言ったに違いない。
 墓前で俺は、彼女が嫌っていた煙草に火を点けた。嫌がらせかといわれたら、嫌がらせだと答える。

「そっち、一人で寂しい?」
【寂しいわけないでしょう。もう下僕がいっぱいよ】

 幻聴が聞こえる。幻聴なのか妄想なのか判断つかないけれど、多分幻聴。
 彼女は強い人だったから、下僕なんて数え切れないくらい作ったのだろう。近隣では敵なしの俺でさえ、彼女には敵わなかった。惚れた弱みと言う分を差し引くから、それはもしかしたら当たり前かもしれない。
 俺が唯一殴れない彼女は、俺のことをボコボコに殴った。
 出会いは、俺が生まれた瞬間。俺の遊び相手という名目だったくせに歳は一廻りも違っていたし、彼女は雇い主の子供であるはずの俺に容赦がなかった。

「地獄で会おうって言ったけどさ、貴女はともかく俺も地獄行きじゃん。それはちょっと勘弁だよね」

 彼女は、病気だった。絶対に死ぬと宣言された病。それは大人たちにとっては都合のいいものだったのだろう。俺は彼女に惚れていて、彼女は俺に惚れていた。お互いにいつそんな感情が芽生えたのだと聞かれても耐えられないだろうし、答える気はない。気がついたら好いていた、というのが正しい形だと思う。
 幼かった俺は彼女と結婚の約束をし、そして彼女は死んだ。

「旦那道連れとか良く聞くけどさ、貴女そんな粘ついた性格じゃないっしょ。……俺も、だけど」

 不意に緩んだ自分の声。思わず湿った空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
 力が抜けて、しゃがみ込む。
 彼女も俺も、永遠に愛し合っているとかいう性格をしていない。もしかしたら、だから別れが人よりも早かったのかもしれない。
 一生分の愛を、十年にも満たない短い時間に凝縮した。もしかしたら、それはありがたいことだったのかもしれない。
 まだ俺には、貴女以外を見るなんて気は全然起きないんだけどね。

「まだ、生きてるんだ……俺」

 俺はまだ生きている。だから怪我が痛む。それを理解したくて怪我をする。そんな理不尽な循環を誰も止める人はいない。
 あの頃、貴女がいないと死んでしまうとまで思った。
 けれど一年経って、俺はまだ生きている。

「死んでないんだ。笑えるだろ……?」

 自嘲に声が歪む。死ぬと思ったのに、まだ生きているなんて。
 貴女がいなくなった日から、雨の日はあなたの思い出に呑まれる日でしかなかった。

「雨、降ってるのにさ」

 雨の日に庭で倒れたのは貴女。
 雨の日に庭に放り出されたのは俺。
 雨の日に喧嘩して俺が外に飛び出して。
 雨の日に貴女は詰まらなそうに俺を誘った。
 雨の日に貴女は倒れ
 雨の日に貴女は死んだ。
 雨の日が葬式だった。
 雨の日に骨を埋め
 一年経った今も雨が降っている。

「雨、なのに」

 雨の日は貴女の日。
 そう、決めていたはずなのに。

「最近さ、雨の日に思い出せないんだ」

 ずっとずっと、雨の日には貴女の面影を追いかけていたのに。
 いつの間にか雨の日はただの雨の日に成り下がっている。
 たった一年で変わってしまった俺を、許してくれるだろうか。

「ごめん」

 こんな謝罪に意味がないことも知っている。
 どうせ貴女は、笑ってくれるだろうから。快活に、あの笑顔で笑って背を乱暴に叩いてくれると知っているから。
 だからこんな形だけの謝罪なんて意味をなさない。

「貴女以外に、好きな人ができたみたい」

 これを貴女に言ったら少しくらいやきもちを焼いてくれるだろうか。
 俺が惚れたそいつは貴女に似て快活で、子供のように感情に素直で人に流されず、誰からも好かれる人間だった。こんな俺を見て、そして裏表のない顔で笑ってくれる。
 少し貴女に、似てる。

「まぁ、男なんだけど」

 最後に素敵な惚けを一つ。
 ずっこけてくれたかな。それで天国から落っこちてくればいい。落ちて来い。

「悪いけど、死ねないわ」

 貴女のために死のうと思っていたけれど。
 どうにもそれができるほど俺は不器用ではないらしい。社会的な責任とか、そんなものに結局負けて貴女の知らない女と結婚するかもしれないけど。
 でも、誰にも貴女よりも好きになることはないと思うんだ。
 それでも、やっぱり死ねない。
 臆病だと、そこから笑ってろ。

「つーか、後追いとかするほど惚れてなかったのかもね」

 精一杯の強がり。
 本当は心底惚れて、誰より愛して、本当に死にたくなった。
 けれどどういうわけか死んでいない。

【お前、死んだらぶっ殺すよ】

 自分が死にかけているのにそんなことを言った貴女に、あの時は首を横にしか触れなかったけれど、ちゃんと約束守ってるじゃん。
 今なら言えるよ。俺は人間だから、時が来たら死ぬんだ。
 ただ今が、その時ではないだけで。あと、一回殺したら二回目はないと思う。

「でも、好きだよ」

 貴女は嫌がるかもしれないけれど、俺は吸殻を線香代わりに置いた。雨にやられてすぐに火は消えるだろう。けれどそれまで、短い間でいいから。
 生きている俺を、許して欲しい。





君のためには死ねない
(これ、誰か聞いてたら超恥ずかしくない?)