あれは綾肴の浮気癖の発露だった。何度涼子を泣かせても、何度中原に殴られても、声をかけられれば拒む理由を見つけることができなかった。けれどどれも本気になれなかったのは本当で、誘われたからついて行っただけというスタンスだったために涼子もいつの間にか浮気のラインがふやけてきて小さなことでは文句を言わなくなっていた。


「ほーんと、綾肴はモテるよね?」

「だーかーら、飯食っただけなんだって」

「別にそのくらいじゃ気にしないし」


 昨日の夜、酒井くんが三組の風間さんとデートしてたよ。涼子が友達から聞いてきた情報に言い訳をするのは二年に進級して一週間に一回以上経験している。そのたびに誘われただけでそれ以上何もしていないというしそれは事実だけれど、同じ回答では芸がない気もする。
 二年に進級して、憲吾も中原も涼子もなぜか同じクラスになった。嬉しいような嬉しくないようなで、気が付けば昼休みは修平を含めた五人で昼食をとるのが常となり始めた。


「あーさん。俺、あーさんの歯で模型作りたいな」

「……中原、冗談に聞こえない」

「冗談じゃないもん」


 雨の日は教室だけれど、晴れた日は大抵屋上で昼食になる。今日も暑い、日に焼けると文句を言いながらもみんなでお昼を食べて予鈴が鳴るまでだらだらと過ごす。綾肴と中原は煙草に火を点けて、同時に涼子と修平が嫌な顔をした。まだ教師に見つかっていないのは、ここが穴場であることと誰もチクらないから。涼子なんてチクるといいながらも決して言わない。


「綾肴、煙草。まだ未成年でしょうに」

「お前にゃ関係ねぇだろ。どうせまた『私悪くない』とかいうんだろ」

「言うけど」


 ほらみろと、と紫煙を深く吸い込む。運動部は嫌な顔をしているけれど、煙が行かないようには配慮している。だからなのか諦めているのか、修兵は何も言わない。
 涼子とこの掛け合いをするのももうあきるくらい繰り返している。けれどあきずにまだ同じ掛け合いをする。その関係が心地いいし、心地いいからずっと隣にいる。綾肴だけが悪いといいながらずっと隣にいて逃げずにいるし、相変わらず綾肴が職員室に呼び出されると戻ってくるまで入り口で待っている。もう十年以上一緒にいるような気にすらなってくる関係。


「なぁなぁ、修学旅行どこ行く?」

「沖縄だろ?」

「そうじゃなくて班行動!」

「どこでもいい」


 夏休みが明ければすぐに修学旅行がやってくる。偶然に全員が同じ班で、女子も涼子を含めてあと三人いる。その中には綾肴が遊んだ女子はいないけれど、いつもその情報を拾ってくるから正直苦手だ。どこに行くかと言われてもまずガイドでも見ないと分からない。沖縄ならばやはり海は外せないポイントだろうか。


「海は行こうぜ!篠原て水着ビキニ!?」

「うん」

「うわ、普通に答えられてんじゃん綾肴!」

「だからなんだよ」

「お前大丈夫かぁ?常に前かがみフラグじゃね」

「つーかお前ら付き合って長いけど、どこまでいった?」


 またその話題か、と綾肴は最後の紫煙と一緒に溜息を吐いた。煙草を床に押し付けて消してその場に投げ出し、正座している涼子の膝に頭を乗せる。暑いけれど、やはり枕があると体勢が楽だ。暑いと上から文句言われたけれど、無視して目を閉じる。じんわりと自分にまとわりつく汗とか涼子の足の暑さとかが妙にリアルに感じられた。


「なー、あやっち」

「んーだよ。修平鬱陶しい」

「エッチ、した?あ、涼子ちゃん答えてくれていいけど」

「答えねぇよ」

「答えるわけないじゃん」


 涼子は笑っていたけれど、体温が上がったのが分かった。決して夏の太陽のせいじゃあない、上昇。でも綾肴の体温は変わらないどころか、ニコチンのせいとはいえ指の先はひんやりとしている。どこまでいってんの、としつこく食い下がってくる修平から助けるようにチャイムが鳴り、暑いから帰ろうかと思ったけれど引きづられるようにして授業に参加させられた。










 修学旅行には沖縄だからと、夏休みに綾肴は四国を旅行した。一人で気侭に一週間名所やらをぶらっとして帰ってきて、残りは特にやることもなく近場を遊び歩いていた。夏休みなんて毎年同じようなものだ。ただ今年は数回涼子と遊びに行ったし、誰もいない家には何度も遊びに来て宿題をやった。
 新学期になってすぐの修学旅行で一番苦労したのは、ライターをどうやって飛行機の機内に持ち込むことだった。結局出した結論は、ライターは置いていって現地購入すること。無事に旅行先でも煙草が吸えると安堵しつつ降り立った南の島は、暑かった。


「うわ。あつ」

「でもさっぱりしてるね」

「だな」


 空港から宿泊予定のホテルまでは各自班で行動する。夜までにつけばいい予定だから、みんなであっちこっちを見て回った。ただホテルに行くには余り遠くに行くわけにもいかず、結局主に買い物をして回っている。まあ女子が喜んでいるのでそれはそれでありがたいけれど。


「これ可愛くない?」

「可愛いか?」

「可愛いよ。燈ちゃんへのお土産にしなって」

「そうだな。んじゃこれ買ってくか」


 あまり可愛いとは思わなかったけれど、女が言うなら可愛いのだろうと簡単に信用して青い硝子のストラップを躊躇いなくレジに持っていく。ついてきた涼子はレジの周りの商品を見ながらちらちらとこちらを見てくる。訳が分からない視線なので気にしないようにしながらポケットに土産の包みと財布をねじ込んだ。


「お前はなんか欲しいのねぇの?」

「私はまだいいや」

「あそ」


 何か買って欲しいのかと思ったけれど特にないらしく、声をかけたら顔を逸らされた。意味が分からないけれど、じゃあいいやとポケットに指を引っ掛けて店の外で呼んでいる友人たちに合流する。特に目的もなく歩くのには綾肴は慣れているが、それがいやなのか修平も女子たちもガイドと地図を見比べている。
 周りを見ると手を繋いでいる男女が結構いた。修学旅行は沖縄と決まっているからか知っている制服も知らない制服もいる。そういえば涼子と手を繋いだことがない。もう付き合ってどのくらいだろうか、覚えているのも馬鹿らしいと思って記憶などしていないけれど、馬鹿らしくなる時間の中で一度も手を繋いでいない。


「なぁ……」

「ちょっと羨ましいな」


 手でも繋ぐか。そう言おうとしたけれど、その前に涼子が笑った。彼女の視線を辿れば同じく手を繋いだ男女がいて、やはり彼女も気にしていたようだった。それが俗に言うイベントマジックかもしれなくても、一時の雰囲気に流されてしまうのも若さゆえの過ちでありじゃないだろうか。
 ゆっくりと視線を離して笑いかけてくる涼子に、綾肴は再び手でも繋ぐかと切り出そうとした。けれどその前に、修平が手を上げて別行動を取りたいと言い出した。


「せっかくカップルいるんだからこいつらハブで遊ぼうぜ」

「は?」

「綾肴たちは夜にホテル来いな。ホテルの前で待ってるから」


 ホテルまでの班行動だから、それまでは自由行動。ただし原則として班で回らなければならない。まぁ、男女別だとかで行動している班はあるだろうが。とうぜん真面目な涼子が文句を言ったけれど、それを聞く前に六人が揃って走って姿をくらませた。初めからその気だったのかと思わず奥歯をかみ締めるけれど、隣で涼子は憤然としている。なんだかそれが妙に面白かった。


「……ククッ」

「何笑ってんのよ」

「こんなことくらいで怒って、真面目だよなって思っただけ」

「何が悪いのよ」

「別に悪いとか言ってねぇだろ。あいつらもいないんだし、せっかくだからデートしようぜ」

「……うん」


 じっと睨まれたけれど、いないものはいないと判断したのかしばらく彼らの去っていった方を見ていたがしばらくしたら頷いた。しかし手を伸ばして繋ごうという気にはなれず、結局いつもの様にポケットに手を突っ込んで歩き出した。
 歩きながら他愛のない話をしているのはいつもどおり。適当な店に入ってちょっとお茶をして、煙草を吸いながら戯れに彼女の唇を浚って見るのもいつものことで。だからイベントマジックなんて陳家な言い訳をしなくても、二人して盛り上がったいたのかもしれない。


「……綾肴」


 話題が尽きて沈黙のままあるきながら、気が付けばホテル街に入ってきていた。ぼんやり空を見上げていたからかもしれないし、いつもの癖で知らない裏道を歩いてみたくなったからかもしれない。普段なら面白くないと感じればすぐに別の道を見つけるのに今日それをしなかったのは、そういうことを期待していたのかもしれない。


「あぁ、悪い。戻る?」


 もう何年も付き合っていて、周りには当然と思われている。お互いの家で二人きりになることも多かったけれど、唇を浚う以上のことは何もできなかった。否、しなかった。けれど今日は僅かに期待して、その言葉を発した。自分が傷つかないように、拒絶されても大丈夫な訊き方をする。けれど決して紳士ぶっているわけじゃあない。
 隣を歩いていた涼子に袖を引かれて、今気づいたような言い方で周りを見回した。こんなところは日本全国どこにでもあるのか。大通りに戻るかと言って踵を返したけれど、足を踏み出す前に腕を掴まれた。俯いてしまった彼女の表情は、見えない。


「はい、ろうか……」

「あん?」

「……いいよ、私」


 掛けられた予想外の言葉にもれた綾肴の声は意外そうだった。ぐっと顔を上がった泣き笑いのような涼子の顔は赤い。彼女が何を思ってその言葉を口にしたのかわからない。けれど無理をしての言葉ではないのは腕を掴む指の強さで分かった。きっと彼女もそろそろだと思っていたのだろう。
 本当かとか野暮なことを訊かないで、綾肴は気のなさそうな返事を一度返した。そうしてぐるりと辺りを見回し、適当な建物に足を伸ばす。こんなところで初めて涼子に手を伸ばした。


「固まってんなよ。自分から誘ったくせに」

「さ、そって、ない!」

「照れてんじゃん」


 固まっていた表情を和らげた涼子の手を掴んで、ホテルのの中に初めて足を踏み入れた。綾肴だって興味がなかったわけじゃあないけれどラブホテルなんて入ったことがなかった。だから勝手も分からず一度あたりをぐるりと見回す。館内の様子と自分の知識と照らし合わせて、自分でも驚くほどスムーズに入れた。自販のような機械で鍵を得て、エレベータに乗る。なんだか繋いでいる手がくすぐったいような気がするのはきっと気のせいじゃあないだろう。


「なんか綾肴、慣れてるね」

「俺、これでも初めてなんだけど」

「えっ!?」

「要領がいいんだ、いろいろと」

「なに、それ」


 エレベータの中で何となく一人で気分が盛り上がって、涼子の唇に口付けた。でも相変わらず浚うような口付けを何度か繰り返す。涼子も抵抗せず、硬直していた。チンとエレベータが到着し、僅かな浮遊感の後扉が開く。カラオケの部屋を探すごとくに部屋を探して、難なく発見した。段々高まっていく緊張と一緒に扉を押してはいると、まず大きなベッドが目に入った。


「涼子、シャワー浴びるか?」

「う、うん」

「じゃあとっとと行って来い」


 一応気を使って先にシャワーを浴びに行かせた。パタパタとバスルームに駆けていく後姿に、時間が限られてるから早くしろと色気のない言葉をかけると分かってると色気のない返事が返って来る。どんなところにいてもお互いに色気がないと思わず苦笑して、荷物の中から煙草を引っ張り出した。火を点けてベッドに寝転がり、どこに何があるのかを軽く確認する。ホテルへ着く時間は午後八時。ここからならば一時間もかからないはずだ。現在の時刻は三時過ぎで、余裕はある。
 ちりちりと短くなる煙草の先を見ながら、そういえば煙草の後のキスは美味しくないと何かの本で読んだ。しかし彼女とは煙草を吸いながらの口付けの方がおおいくらいだからべつにいいか、と思い直して。


「涼子、遅ぇ」

「今出る、今出るー」


 煙草を二本吸ってもまだ出てこない涼子に文句をぶつけると、大きな声で返事があった。少し急かしすぎたかななどと思いながら、髪まで洗ってきた涼子とバトンタッチでバスルームに向かった。汗を流すだけなのに髪まで洗いやがって、などと思いながら綾肴もそのまま乱暴に髪を洗った。ざっと流して適当に身体も拭いて、ベルトもボタンも留めずにバスルームを出た。


「涼子」

「な、何!?」

「緊張しすぎ」

「……綾肴は落ち着きすぎだよ」

「あ、言っとくけど俺も初めてだからな」

「そうなの!?」

「だから何でそう……。いい、いいから大人しくしとけ」


 ベッドに腰掛けて俯いていた涼子の前に立てば、影に驚いてビクリと肩を竦ませた。その反応も可愛くないことはないけれど、この期に及んで面倒になって肩を掴んでそのままベッドに押し倒した。脱ぐと分かっているのにしっかりと制服を着ているのは焦らして欲しいのかと厭味のように頭に浮かぶけれど、唇を押し当てただけで硬直してしまうのならばそんなことはないだろう。とても緊張している女の子に対してイラついている自分が情けない。
 唇を押し当てて初めて舌を口内に侵入させながら制服のボタンを外した。とたんに抵抗してくる身体は力で征服できる。ボタンをすべて外して、乱暴に舌のキャミソールをたくし上げた。


「あ、綾肴……」

「緊張してるか?」

「うん」

「お前もこうなること期待してた?」

「……うん」

「よし。じゃあ無駄な抵抗すんな」


 触れる前に確認して、綾肴は自分のシャツを脱ぎ捨てた。部屋は初めから薄暗い証明に絞ってある。恥ずかしいとかちょっと待ってなどという余計な言葉をすべて先制して黙らせて、お互いに始めての性行為に集中した。
 あまり興味がないと思っていた涼子の身体も、下着を取り払って成長の途中である胸の膨らみを鷲掴んで揉んで唇で触れて下を這わせているうちに段々愛おしくなってきて。何かで読んだ、男女の仲は身体で分かり合うとかいうものの意味が何となく分かった気がした。
 涼子の反応を気にしながら、そっと制服のスカートの中に手を差し入れる。途端にビクッと躯を振るわせ、何かに怯えるような目で綾肴を見た。けれどその瞳も熱に浮かされ、扇情的に光っている。


「綾肴……」

「どうした?」

「あの……」

「何だよ、今更やめようとか言うのか?」


 言われたところでやめないけれど、と口の端を曲げるけれど、涼子はふるふると首を横に振った。ならいいけど、とスカートのファスナーを下ろす。腰上げろと耳元に囁いてスカートを引き下ろし、下着一枚の姿にした。そうして思わず生唾を飲み込む。いざとなるとやはり緊張するから、彼女に緊張するななんていっていい言葉じゃあない。
 怯えるような表情の涼子を見ていて、ずいぶん前にAVの監督をしている知り合いに聞いた話を思い出した。男と女では感じ方が違う。男にとって初めての相手がそんなに重要じゃあないのに対して女にとってはとても重要なことなのと同じように、初めてに対する恐怖心の大きさは比べ物にならない。なによりも常にリスクを負うのは女の体なのだとその人は言った。それを思い出したから、涼子には優しくしなければと思えた。


「あの……」

「怖い?」

「そう、じゃなくて……」

「じゃなくて?」

「……痛い、のかな」

「善処する」


 泣きそうな声で言う涼子の身体を抱きしめるようにして、指先の感覚で下着をひき下ろした。口付けてからにっこりと笑いかけて、彼女が悲鳴を上げるのもお構いなしに開かせた足の間に顔を埋めて舌でほぐした。
 同じ男から聞いた話では、処女膜を割ると血が出る。けれどそれは個人差だし、運動部に属していると衝撃でもう割れているかもしれないと訊いてもいないのに話してくれた。痛い女とそんなに痛くない女がいるとも。ここまできてようやく彼女を大事にしたいと思ったから、できれば痛くなければいい。その男の言葉を思い出しながら、綾肴はゆっくりと自分もすべての服を脱ぎ捨てた。










 疲れ果てて一緒に眠って、目を覚ましたのは丁度チェックアウトの時間だった。慌てて二人でシャワーを浴びて制服を着なおして、今度は自然に手を絡ませて新しい下着買っておけばよかったね、なんて話しながらエレベータに乗った。旅行中だから替えの服はあるけれど、大きな荷物は空港から直接ホテルに送られるので手元にない。さすがに気が回らなかったと舌打ちでもしたくなった。


「全然痛くなかっただろ?」

「うん。でも私、初めてだからね?」

「知ってる。運動部ってそういうの多いんだって聞いたし」

「そうなんだ。運動部でよかった、友達は一日動けなかったらしいし」

「相手が下手なんじゃねぇの?」

「綾肴は異様に上手かったもんねぇ」


 エレベータの中で懲りずに唇を重ねて、建物を出ながら煙草に火を点けた。手を繋いでいるから片手で点けるのはなんだか不安定だったけれど特に苦にもならない。紫煙を吐き出したその刹那、涼子が足を止めた。どうしたんだと彼女の視線を辿ってそれを見た綾肴がとった行動は、まず銜えていた煙草を勿体無いながらも吐き出して踏み消すことだった。


「こんなところで何やってるの!?」

「げっ」

「他の班員たちは?いいわ、先にホテルにきなさい!」


 不運にもばったりと出会ったのは、学校一口うるさいと言われている女教師だった。その隣には見覚えのある新人教師がいて、涼子のことを考えて逃げなかった綾肴は唾でも吐き出してお前こそ何しているんだと言おうかと思ったけれど、その前に涼子に手の甲を抓られた。
 そのままタクシーに乗ってホテルまで連行されて、たちまち大騒ぎになった。担任は真っ青な顔をして殴ってくるし、来ていた教員が集まってくる。せめて小さな部屋に連行して欲しかったけれど、なんで大広間になんて連行してくれるんだ。早く帰って来たやつらがちらちら覗いてはこそこそと囁きあっていて、涼子は真っ赤になって俯いていた。


「酒井〜。お前なんてことをしでかしてくれたんだ」

「まぁまぁセンセ。これも社会勉強だと思って……」

「思えるか!」

「つかせめてもうちょっとこじんまりとした部屋でやらね?」


 こんな後悔処刑みたいな場所はいやだし、何よりも涼子がかわいそうだ。特に真面目で通っている涼子のことだから、噂は一気に広がる。これが男よりも女が負うリスクというものなら自分が護ってやるべきだったのに、と自然と奥歯を噛む。煙草が吸いたいのに、こういうときばかり煙草を吸える状況じゃあない。担任は個室に行きたいのは山々だが、というのでたぶんあの女教師から駄目と言われているのだろう。だったらこっちも反撃してやりたい。


「でもさ、先生たちも何であんなところにいたんスか?」

「今は私たちのことではなく貴方たちのことです!」

「落ち着いてください、酒井も煽るな!よし、こいつらは俺に任せてください」


 やっぱり俺の部屋で話そうと言ってくれた担任に少し安心して、涼子の身体を労わるように彼女を待って立ち上がった。出て行くときにあの女教師に睨まれたけれど、だったら余裕の顔を返してやる。きっとこういう態度が反感を買うんだろうとは分かってはいるが人に舐められるのは耐えられない。涼子に小突かれても気づかないふりをした。
 大広間から出て三階の担任の部屋に足を投げ出して腰を下ろし、やっと一息つけた気がした。


「酒井。お前、本当にやめてくれよ」

「何を?」

「俺の肝を冷やすのだ!で、今回は本当のことか?」

「本当のこと。ラブホから出てくるとこはっきり見られた」

「お前は……」

「でもさ、先生。付き合ってる奴らがイベントの雰囲気に流されて初エッチってロマンチックじゃね?」

「綾肴!」


 正座していた涼子が顔を赤くして叫ぶけれど、出てきたところを見られた時点で隠している意味はないだろう。けれど担任は意外そうな顔をして初めてだったのか、と呟いた。こんな担任だからきっと綾肴も学校が嫌にならずに通っていられるのだろう。
 結局、乗り込んできた女教師の夜まで説教を聞いて憲吾たちに合流したのは十時を回ったところだった。学校に戻ったら反省文の提出だけで済んだのは担任の計らいだ。けれど綾肴はそれすらも馬鹿らしいという理由で提出しなかった。










 修学旅行から戻ってから、頻繁に身体を重ねるようになった。今までもお互いの家に行って過ごすことがあったからその延長で、今まで黙っていた時間がセックスの時間に変わっただけだけれど、それでもその時間はなんだか特別なもののように思えた。
 そのままでいいと思えたのは、けれど二年の二学期が終わるまでだった。正月が明けるころには受験がどうのと言い出す人間もいて、教室の一部が重くなる。自分には関係のないことかと思っていたら、残念ながら涼子といつの間にか生徒会長になっていた中原はそちらの人間だったようだ。


「ねぇ、綾肴は将来どうするの?」

「……興味ねぇ」

「そんなこと言って。そろそろ考えないと大学もやばい事になるからね」

「その前にお前もう一回やばい事になっとくか」

「そんなことで誤魔化さない」


 時間が空いた放課後に綾肴の家で身体を合わせた。服を着ている涼子をぼんやりと眺めながら煙草に火を点け、もう何度も繰り返した話題に同じ切り替えしをする。将来なんてまだ何にも考えていないし、考えたくもない。願わくはこの惰性的な時間が永遠に、なんて思ったりもして。


「来年も同じクラスになれるといいね」

「何だよいきなり」

「別に。さ、テスト勉強の続き」

「俺まだ一服してるじゃねぇか」

「十分休憩したでしょうが」


 身支度が終わった涼子が、部屋の中央に鎮座している小さな机に再び向き合ってシャーペンを握る。結局こうなるのか、とさっきまで卑猥だったこの部屋が懐かしくなった。でも結局それもこれも現実逃避だ。まだ半分ほどしか吸っていない煙草を灰皿に押し付けて、代わりにシャーペンを握った。
 しばらく黙って手を動かしていたけれど、しばらくして手を止めたのは涼子が先だった。ぴたりと止まった手元が気になって綾肴が顔を上げれば、どこか涼子の目は遠くを見ていた。


「涼子?」

「あっ、何?」

「何って、お前がぼっとしてっからだろ。どうした?」

「別になんでもないけど……」

「本当かぁ?」

「本当だよ。ただ、いつまで一緒にいられるのかなって思っただけ」


 自分だけ言い捨ててまた問題を解き始めてしまった涼子に対して、綾肴は言葉を書けるタイミングを失って顔を歪めた。
 ただ漠然と見ていた未来には、このまま適当な大学に行って就職して結婚して、そのまま平和に死んでいくこと。まったく平凡としか言いようがない将来像。その中には漠然と涼子の姿もあるけれど、それが希望なのか現在の投影なのか分からない。ただあまりにも漠然とした絵だけに、現在の投影なのだと理解している。


「綾肴って夢とかないの?」

「ねぇよ、夢なんて」


 そんなみっともないものは持っていないと、彼女の前で口に出せなかった。叶わなかった時にみっともないから確信のある情報しか口に出さないのは、今までずっと綾肴が守ってきたルールだった。だから年末に誘われたバーテンのバイトにハマって、一人前のバーテンになりたいなんていえない。


「お前は?」

「私はね、今のところ大学に行こうかと思ってるよ」

「そっか」


 これ以上の会話が苦しくて、そのまま彼女の唇を浚った。
 真面目で頭のいい涼子が上の大学を目指すのは当然のことで、何もない綾肴が今までのように好きに進路を決めて専門学校に決めかけているのも当然のことで。けれど学校が違ったってやっていることが違ったって、結局傍にいるんじゃあないかと、漠然としたままでもそう思っていた。





−続−

裏話が書きたくてしょうがない。