こんな世界に産んでくれてありがとう
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わたしは、生まれてくるところを間違ってしまったようだ。
学校も家も、どこにもわたしの居場所はなかった。
どこにいようと息は詰まり、気が付けば息が止まっていることもしばしばだった。
わたしは、地球に生まれるべきではなかったのだ。
「こんばんわ。妖精さん」
「あぁ、こんばんわ。今日も来ていたのだね」
夜になると、わたしはよく散歩に出た。
息苦しさや孤独感は、夜になると少し良くなった。きっとわたしの体は月の光があっているのだ。
あのしっとりとした雰囲気は死の予告に似ている。
きっとわたしは、月からの死者なのだ。
「妖精さんは月が好きなの?」
「どうして?」
「いつも月を見ているから」
畦道の先の社には、一人の少女がいつもいる。人の気配のない時間帯にここにいる彼女もまた、月の精かもしれない。
名を名乗らないわたしを、彼女はいつしか妖精さんと呼ぶようになった。
ここでわたしたちは、誰も知らない時間を過す。
深夜の逢瀬は、そんなに美しい物語ではない。ただ、ひっそりとした蜜事のようにしんしんと月に見下ろされた戯れが繰り返される。
「月は陰だそうだよ。だからわたしは、世界の裏側なのだ」
彼女はわたしの話を、不思議そうな顔をして聞く。けれどそれは馬鹿にしているではなく、ただ純粋に不思議なのだろう。
異国の物語なのだ。
この世界が表の、陽の世界なのだとしたらわたしは影だ。陰。
間違って生まれてきた存在。ちっぽけで矮小で、陽に呑みこまれる薄暗い闇。否、闇にすらなりきれぬ陰り。
決して表と交われぬくせに、闇にもなりきれない。世界がそれを許してくれない。
奇異なものは決して異なるものとしてではなく奇なるものとして扱われる。
決して、己との違いを認めようとはしない傲慢さ。
「わたしはね、人間じゃあないんだよ」
「妖精さんは、本当に妖精さんなの?」
「そうかもしれないし、そうではないかもしれない」
またしても彼女は分からないように首を傾げた。
わたしの存在を誰も定義はできない。わたしはわたしであって、わたしではない。わたしは何者にもなれない。だから、何者でもない。
不思議な顔をしていた彼女は、やはり幼い顔に納得の表情を浮かべてはいなかった。
「それなら、妖精さんはきっと妖精さんなのだわ」
「どうして?」
「勝手に妖精さんなのだと思っても、構わないでしょう?」
何者でもないなら、何者にもなれる。
彼女はそう言って嬉しそうに笑い、華奢な指を合せてわたしをみた。何かを求めるような眼をして、何も望まない目をして。
「妖精さんは、月に帰りたいの?」
「もしも帰りたいといったらどうする?」
唐突な質問の意味は分からなかった。
けれど彼女はわたしの質問に少し考えるように眉を寄せて天を仰ぐ。そして、月は何も言わずに空を見ていた。
しばらくして、悪戯っぽく笑ってみせる。
「帰って仕舞わないように、お月様にお願いするわ」
「月は何もしてくれないよ。ただ見ているだけさ」
「そんなことないわ。お月様は妖精さんに逢わせてくれたもの」
「それは月ではないよ。きっと、君が呼んだんだ」
全く根拠のないことでも、彼女は笑って聞いていた。
けれど明確に首を横に振ってそれは違うとまっすぐにわたしを見る。
彼女の眼の中には、わたしが映っていた。
「お月様から、貴方はきっとあたしに会いにきてくれたの」
「そう思う?」
「思うわ。だから、妖精さんはあたしと一緒に月に帰るの」
月に帰ると、彼女はそう言った。
とても嬉しそうな顔ではにかんで、幼い少女には似合わない表情を月は何も言わずに照らしている。
ただ青白い光を、彼女の肌は反射していた。そこだけが地球上のどこでもないところの停滞地帯のようだった。
きっと月光には時を止め、世界を移し変える力があるのだろう。
「あたしはもうすぐ死んじゃうから、だから妖精さんを寄越してくれたの」
「死んでしまうのかい?」
「あたしも、間違って生まれてきたから」
生まれてくる場所を間違えたのは、どうやらわたしだけではないらしい。
ただ彼女は、自分は望まれて生まれてきたのではないから誰にも愛されず、近いうちに殺されるだろうと寂しげではない視線で語った。
きっと全てを受け入れて諦めてしまったのだろう。表の世から引き摺り降ろされ、二度と太陽の前に姿を現せない。
わたしとは、少し違った。
わたしはただ、自分がひどくこの世界にそぐわずに間違った世界に生まれてきてしまっただけだ。彼女のように初めは表にいたわけではない。
初めから、裏にいた。
「だから、一緒ね」
一緒じゃない。
けれど一緒だった。
この停滞した地球上のどこでもない世界では、何もかもが一緒だった。
だから、わたしは一緒だといった。
こんな世界に産んでくれてありがとう
(もう少し、この世界に留まることにしよう)